民主主義のために その1 法律の意義 | やまのブログ

民主主義のために その1 法律の意義



 しごく基本的なことになりますが法律の意義について述べてゆきます そんなこと分かってるって人が多いと思いますがごめんなさい 世の中には分かってない人もいるみたいなのでそういう人達のために あえてこの記事を描きます

 「要するに法律に違反しなければいいんですよ」
と 法廷で言い放った裁判官がいるらしいのです 府中刑務所に居る時に回覧されてくる新聞で見た記憶があります 一般人ならともかく裁判官の言動ということで ものすごくナサケナイ思いを感じたのを覚えています この人は裁判官として何を学んできたんだろう 日本の司法ってこの程度なのか、、、、と思ってしまった(´・ω・`)

 ええとですね 殺人は犯罪として処罰されます 当たり前と言えば当たり前のことですが 2001年に成田で捕まった際に私の取り調べを担当した税関職員が言ってたのですがどこだかの国では最近になってやっと殺人罪が制定されたってことでした
 ホントかよって思いましたけど真面目な顔してましたので嘘を言ってる風には見えなかった その時の私は大麻所持でわざと逮捕されていたので
<大麻取締法がなければ犯罪にはならなかったのにな>
と言いたかったのかもしれません それはさておき

 殺人にしろ大麻所持にしろ法律で禁止されていなければ社会的には犯罪と見做されません 法律が社会における犯罪を規定しているからですね その点だけをみれば「要するに法律に違反しなければいいんですよ」という先にあげた裁判官の言葉は嘘ではありません でもね でもなのですよ

 では 殺人罪が法律になければ人を殺してもいいのか!?

 いいわけないですよね 法律で規制されていないのだから人を殺すのは自由だ なんてのがまかり通れば我々は安心して暮らすことが出来ない 社会はめちゃくちゃです その社会で暮らす我々が困る だから法律で殺人を犯罪とすることで規制してるんです スイマセン 当たり前のことをわざわざもったいぶって言ってしまいました 

 一般に法律で規制されてはいないけれど それはダメだろう という事態が出来した際に世間はこういう言い方をします
<法的には問題ないけれど道義的にゆるせない>

 法律というのは道義の下に制定されるものなんです もしも法的に規制されていないのに道義的に赦せない問題が現れたならそこには法の不備があったということです 早急に法整備をして同じ事態が二度と起こらないようにすべきことなのです

 だから 「要するに法律に違反しなければいいんですよ」
なんて堂々と言い放つ裁判官に失望します 世の中には法の抜け穴ばかり探してる人もいるようですが 度を過ごすと地獄へ行きますよ 

 さてところで
<法的には問題ないけれど道義的にゆるせない>
という問題が世の中にあるように逆の場合もあるというのは分かりますか?

<法的には規制されているけれど道義的に問題ない>
こういう場合はどうすればいいと思いますか? 法律があるために犯罪者にされてしまったけれど実は被害者なんかどこにもいない こんな場合があるの分かりますか? どうすればいいんだろう? 考えていただければ幸いです

 今回の記事はいったんここで終わります 終わりますが続きます 次に私は憲法に関する記事を描いてその後に主権をテーマにした記事を描く予定です 小出しでいきますが繋がる予定です 勘のいい方なら私が何を言いたいかの大まかな想像がつくだろうかと思います 予想出来ない方は次回次々回の記事をお待ちください