仁左衛門の南方十次兵衛を見に、松竹座に行ってきました。吉右衛門は病気で休演していますが、とにかく、吉右衛門、仁左衛門、菊五郎が歌舞伎に出たら、基本見に行っとこうと思っています。特に、仁左衛門は見て失敗はないですし、古典歌舞伎が崩壊してきている中では、どんな役でも見ておくべきだと思っています。

 仁左衛門の南方十次兵衛、幸四郎の濡髪、孝太郎のお早、上村吉弥のお幸です。幸四郎の濡髪はうけの芝居をがんばってはいるけれども、大きさが出ませんでした。世話になった人のために人を殺し、最後に、親の顔を見たいと思ってやってきた横綱。大きさと、母親への心がないといけません。

 子どものころに見た、先代上村吉弥のお幸がよく、そのときは、お早も宗十郎とそろっていました。先代幸四郎の南方十次兵衛だったでしょうか。このときの「引窓」は、現代的なことばづかいで、語彙がなくて恥ずかしいのですが、平和で幸せな3人の楽しげなお月見の晩の様子、そして、本当の息子・濡髪がたずねてきてくれたことと、義理の息子が武士に取り立てられたことで幸せが重なったお幸の様子と、後半の悲しみとの対比がすばらしい舞台でした。

 先代幸四郎(9代目)は、ほかのお芝居では感心したことはないのですが、南方十次兵衛は、人のいい商人らしさがこの人のニンにはまっていたと思います。

 さて、今回は、仁左衛門は前半の喜びと武士になりたての軽さ、明るさがあり、また、後半は、義理の母を本当の母として大事にしている気持ちとその母にうそをつかれた悲しさ、苦しさとがよくあらわれた演技でした。

 仁左衛門のこの演技だけで、まわりのお早、お幸をひっぱっていました。前半の幸せな家族の様子は3人ともよかったと思いますが、後半になると、仁左衛門の力でどうにかなったという印象です。

 「新口村」は、忠兵衛と親・孫右衛門の2役を同じ人が演じる大阪の型で演じられました。忠兵衛、孫右衛門は鴈治郎、梅川は、扇雀でした。萬歳として、虎之助(扇雀の息子)と千之助(孝太郎の息子)が出ます。

 大阪歌舞伎らしい(無理な)型だと思いました。梅川と孫右衛門の芝居になり、忠兵衛がないがしろになってしまいます。忠兵衛もできるような美しい俳優が、孫右衛門というじじい役もやるというところにおもしろさをということだと思いますが、鴈治郎では、どちらも中途半端なので、この型のおもしろさがまったく感じられません。おそらく、現代の観客には忠兵衛と孫右衛門が同じ俳優がやっていて、忠兵衛が吹き替えになっているというのもわからないんじゃないかと思います。また、新口村だけを出す場合は、やはり、父・孫右衛門の子どものを思う気持ちで見せるものになるはずなので、そこもこの役代わりでは、描ききれないと思います。

 最後に、関西歌舞伎と東京のものとで違うことばを使っているということで、1つ勉強になったことをメモしておきます。

 歌舞伎のプログラムを東京では「筋書」といいます。大阪では「番付」という語を残しているようです。明治時代までは、役割番付、絵番付などがありましたが、現代のように「あらすじ」や解説とともに配役が書かれているものについては、番付という言い方がしません。番付というと、相撲のように、ランクを表すようなものを指して使われます。それが大阪では、純粋にはランク付けは含まれていないような「プログラム」として「番付」ということばが使われているようです。

 大阪の歌舞伎用語と東京の歌舞伎用語との違いが、この「番付」以外にもあるのではないかと思います。調べてみたいところです。