「日刊ゲンダイ」のネットニュースに次のような記事を見つけました。
〝自称大横綱〟白鵬「進退の意味わかった」発言に透ける引退先送りの悪あがき
(中略)
「自分で自分のことを『大横綱』と言っているくらいですからね。進退を先送りにして何が悪いのか、と考えていてもおかしくありません」
「大横綱」とはどういう横綱のことを指すのでしょうか。このことばは、相撲協会が使う
というよりも、新聞や雑誌などのマスメディアが使っています。このことばの成り立ちから
その意味を考えたいと思います。そして、上記の記事で「自称大横綱」というのはどういう
ことなのかも考えます。
「大横綱」は、現代では「ダイヨコズナ」と読みます(かなづかいは「だいよこづな」で
すが、発音を表すために「ズナ」にしています)。もともとは「オーヨコズナ」と読まれて
いたようです。山下(2017)には1930年の本に「大横綱」ということばがあり、「おほよ
こづな」と読みがなが付けられていることが述べられています。これが「ダイヨコズナ」と
いう読み方に変化するのは、昭和30年代になってからのようです。
「オーヨコズナ」「ダイヨコズナ」いずれの読み方であったとしても、このことば自体、
昭和になってから使われるようになったものです。江戸時代の相撲は最高位が大関でした。
その大関の中で特に強い力士には「綱」が贈られ、その綱を「横綱」と言いました。その後、
これが転じて、「偉大な力士」を「横綱」と呼ぶようになり、これが「大関」の上の地位と
して固定されるようになりました。
つまり、「横綱」だけで「偉大な力士」という意味になりますし、称号のような名称なの
で、もともとの意味から考えると、「大横綱」のようにそれに「大」を追加する必要もない
わけです。
強い力士をほめることばとしては、伝統的には「日下開山(ひのしたかいさん)」という
ことばが使われました。そのほか「大力士(だいりきし)」「大剛(だいごう)」などのこと
ばも使われました。
さて、「大横綱」は昭和になって使われるようになったこと、そしてこの読みが「ダイヨ
コズナ」になったのが昭和30年代であることがわかりました。この昭和30年代は、大鵬
が活躍した時代に重なります。これは偶然ではないでしょう。これまでにないような強い横
綱であり、戦後の新しい時代の横綱ということで、旧態依然とした「日下開山」などのこと
ばでは合わないと考えられたのではないでしょうか。
最初のネット記事に戻ります。
「大横綱」の定義です。これは明確には決まっていません。
「大(だい)」は「大きいこと」「すぐれたこと」「偉大なこと」などの意味で、名詞の上について造語成分として使われます。「大(おお)」の場合も同様の意味がありますが、「だい」と異なり、「中心の」などの意味でも使われます。例えば、「大歌舞伎」「大芝居」「大新聞」は、「大きな歌舞伎」「大きな芝居」「大きな新聞」ということではなく、「中心的な歌舞伎」「中心的な芝居」「中心的な新聞」といった意味を持ちます。
「大横綱」は「だい」「おお」どちらで読むとしても、「大きい横綱」「偉大な横綱」「中心
的な横綱」といった意味で、非常に抽象的です。人によって解釈が異なるでしょう。例えば、
優勝回数の多い千代の富士や朝青龍、白鵬などが圧倒的に強い横綱なのだから「大横綱」だ
と考える人もいるでしょう。一方で、優勝回数などに関係なく、その時代の相撲を支え、フ
ァンに慕われた人こそ「大横綱」だと考える人もいるでしょう。
引用した記事ではいやみっぽく「自称大横綱」とあるので、ほかの人に認められて言われ
ることばであり、自分では言わないものであることは確かなようです。
これまで「大横綱」と呼ばれた人たちは、古くは常盤山、双葉山、大鵬です。いずれも、
横綱として、その人格も尊敬され、相撲界の精神的な支えになったような横綱です。優勝回数では千代の富士も大鵬より1回少ないだけで、相撲の一時代を築いた人ですが、「大横綱」と言われることは少ないようです。
横綱であれば、相撲が強いことはもちろんですが、それ以上に「相撲の中心となるべき人」
「相撲界の精神的な支えとなる人」という意味で使われるのではないでしょうか。
そうした意味の取り違いがあり、最初にあげたような記事につながるように思いました。
参考
山下 洋子(2017) 「「大」相撲の「大」横綱」『放送研究と調査』2017年4月号