戸板康二による推理小説全集のうち、第2集を読みました。今回のもので3冊目です。歌舞伎俳優の中村雅楽と、新聞記者・竹野とが歌舞伎に関する事件や不思議な出来事を解決していくという内容のものです。

 表題のもののほか短編18編が収録されています。前に読んだときにも思ったことですが、老優とされている雅楽の年齢がつかめず、別世界の話のように感じます。

 筆者によるあとがきに、「雅楽という老優が、一体年はいくつだとよく聞かれる。」とあり、それについて「その質問に対して、ぼくは「役者に年なし」と答えることにしている」と述べています。これはやや苦しいように思いますが、今回読んでいて、歌舞伎界とくに、私たちが触れることができる表舞台ではなく、楽屋での話を中心にしており、老優の不思議さからくる別世界感がそれにあっているという気がしました。前回読んだものよりも前に書かれたもので、時代的な不思議さがまだ薄いということもあるでしょう。

 歌舞伎の裏の話であり、歌舞伎を知らない人や歌舞伎は見たことがあるという程度の人にも、とっつきにくいかもしれません。これも筆者が「芝居の世界なので、特殊な術語も出て来る点、読みにくいと思う読者もいると思う」と書いています。

 「立役」に必ず「男役」と説明をつけるなど、気をつかっていることがうかがえます。こうした術語以前に、芝居の演目名が出てきて、あらすじもわかって当然のようになっているのも、読み進めるのが難しいのではないかと思いました。私はおもしろく読みましたが、こういうところがなかなかミステリーとして残っていかない理由でしょう。『半七捕物帳』も歌舞伎の世界が一部出てきますが、主なテーマではありませんし、時代劇だというところも、現代でも読まれる理由で、「中村雅楽シリーズ」とは違うのだと思いました。

 中村雅楽のモデルについて、私は前の感想で5代目歌右衛門あるいは、1900年生まれぐらいの人と想定しましたが、これも筆者が次のように書いていました(あとがき)。

 「歌舞伎俳優を近代ミステリーの探偵役、怜悧で粋な謎とき物の主役に使った例は類をみない。雅楽のイメージは五代目中村歌右衛門、六代目尾上菊五郎、喜多村禄郎、川尻清譚をモデルとし、それをつきまぜて巧みに架空の人としたものである」

 5代目歌右衛門、喜多村禄郎というのは雰囲気として、なっとくできます。6代目については、一般にはもう少し江戸っ子っぽい感じで知られているように思います。最近読んだ座談会では、6代目の芸談、自伝、インタビューなどで、べらんめえ調で書かれているものがあるが、ああいうことばづかいはしなかったとありました。近代人らしいことばづかいというのが実態のようで、べらんめえ調は、6代目の役割語とでもいうようなものなのでしょう。

 戸板康二はそうしたことを踏まえて、モデルとして6代目ということを言っているようにも思いました。

 このシリーズはあと1冊残っています。