先日、2023年の山納めとして、西丹沢の大室山、加入道山で静かな山歩きを楽しんできた。



その時は今年ラストと決めていたのだが、急に思い立って年の瀬にもう一度山に登ることにした。山納めのやり直しだ。


登った山は、雲仙岳。仁田峠というところを起点として、標高1,359mの主峰、普賢岳を目指す。


普段、関東近郊の山を中心に登っている僕にとって初めての九州での登山。


年末年始は家族とともに帰省をするのだが、どうせなら普段登る機会のない山に登ろうと考えたわけだ。


帰省の前日に思いついて、慌てて登山グッズをスーツケースに詰め込む。


雲仙岳は僕にとって印象深い山である。僕が小学生の時、大噴火を起こしたからだ。



今では平成大噴火と言われているらしいが、1990年から1995年まで噴火が続いた。特に印象的だったのは火砕流だ。


それまで火山の噴火というと、ドッカーン!と噴火して溶岩が溢れ出すイメージだったのだが、この時、ニュースの映像で目にしたのは、ドス黒いもくもくとした煙の塊が山を駆け降りてくる様子である。


映像では煙の塊に見えるが、ただの煙ではなく、高音の火山灰や岩の塊でできていて、火砕流が通った後を焼き尽くしてしまう。人間などひとたまりもない。


雲仙はもともとは人気の観光地。火山の恵みを観光資源として、温泉街などもあるし、昭和の時代にはそれなりに賑わっていたようだ。


僕も何回か観光で連れて行ってもらったことがある。記憶にないくらい小さな時の写真も残っている。



僕自身が住んでいる場所は、雲仙岳から随分と離れていたので、噴火自体はあくまでもテレビのニュースでの出来事ではあったのだが、ローカルニュースでは連日のように火砕流の被害などが伝えられ、自分が行ったことのある場所で起こる自然災害に、子供ながらに火山の怖さを植え付けられた記憶が残っている。


そういった記憶が残る山。それが雲仙岳だ。まさかその雲仙岳に登ることになるとは思ってもみなかった。


雲仙岳は今も活火山で、平成大噴火の時に成長した溶岩ドームは平成新山と名付けられ、現在も立ち入ることはできない。


そのため、雲仙岳を構成するいくつかの山のうち主峰である普賢岳を目指すのが最も一般的なルートのようだ。今回も仁田峠を起点に、普賢岳を目指するルート設定とした。





あまり長時間にわたり家族を放ったらかしにするわけにもいかないので、登りはロープウェイでズルをして標高を稼いでからのスタート。


普賢岳の登山ルートは一部、一方通行区間があるため、ワンウェイのコースで設定するなら時計回りに歩かなければならない。今回もそのようにした。


仁田峠につながる道路は朝8時から開通。少し前に到着したら自分の前に2台の車が並んでいた。



8時少し前にゲートが開く。しばらく山道をドライブして仁田峠へ。



まずはロープウェイに乗って妙見岳駅へ。ロープウェイ乗り場から既に平成新山を拝むこともできる。



始発8:30のロープウェイに乗り込む。ロープウェイ駅から登山スタート。



ロープウェイ駅からでもかなりの展望だ。




前半は山の西側、北側を中心に歩くため、少し歩いただけでかなりの雪が目立つ。すぐにチェーンスパイクを装着。




最初の目的地は国見岳。分岐を曲がってしばらく歩くと目の前に国見岳がそびえ立つ様子を目の当たりにすることができる。




しばらく歩くと岩場がスタート。雪はなくチェーンスパイクがかえって邪魔になるので、ここでいったんチェーンスパイクを外す。


いったん装着したチェーンスパイクの取り外しはグローブが泥で汚れたり何かとストレスだが、横着をしてはいけない。




結構ハードめの鎖場なども通過すると程なくして国見岳の山頂へ。向かい側に平成新山がよく見える。


ピークは非常に狭くて、山頂標識以外に特に何かあるわけではないので、景色を堪能して写真を撮り終えたらそそくさと来た道を引き返す。



分岐まで戻り、今度は普賢岳を目指す。山の西側から北側に回り込んでから、東側に抜けるような登山ルートだ。




ここからの道は基本的に積雪があるので、チェーンスパイクが大活躍。楽しい雪歩きを堪能することができた。


しかし、ここでトラブルが。少しの区間だけ雪がない登山道に出た際、ちょっと気を抜いてしまい、思いっきり右足首を捻挫してしまった。


捻った瞬間は激痛で、瞬間的に「ヤバい!歩けないかも!」と感じたくらいで、実際、数分間座り込んでしまった。


携帯電話の機内モードを解除すると幸い電波はつながってくれたので一安心。万が一歩けなければ助けを呼ぶしかない。


しかし数分座っていたら、何とか歩けそうな感じがしたので、立ち上がってみると、痛みはあるが意外と普通に歩ける感じ。


そんなに長い距離ではないし、これなら大丈夫だと思い、再び歩き始める。


実際、登っている時はそんなに痛まない。痛いのは下りの時。でも段々と慣れてきて、いつもよりはゆっくり目だが、ある程度普通に歩けるようになる。




途中、火山が作り出した洞窟である風穴を通過したりしつつ、順調に歩みを進めていく。




そうやって雪道を歩き続けると、平成新山への分岐点に到達。当然、ここは立入禁止エリアなので、写真だけ撮って通り過ぎる。




そこから少し歩くと普賢岳の山頂に到達。よく晴れた天気で、山頂標識の向こう側に迫力満点の平成新山を臨むことができる。




平成の大噴火で、溶岩ドームが盛り上がってできた平成新山。自分が生きている同じ時代に、こんな形で山が出来上がるなんて、にわかには信じられないが紛れもない事実だ。



また、小学生の時にニュースで見たショッキングな火砕流の映像の舞台となった山の主峰に自分がいま立っているんだと思うと、感慨深さとともに、何とも言えない気持ちになってくる。


しばらく山頂を独り占めにして写真撮影などを済ませてから下山開始。




ここからが結構キツかった。捻挫した足首が下りの時に痛むのだ。帰りはほとんど下りなので、ずっと痛みを感じながらの山歩きとなった。


本当は捻挫した時点で引き返すという選択肢もあったと思うし、本来そうすべきだったのかもしれない。


中途半端な場所にいたので、そのまま行ってしまおうと判断したが、引き返していたら、ここまで下ることもなかったわけである。そういう意味では、今回の判断は反省点かもしれない。




そんなこともあったが、無事に下山して、2023年の山納めを何とか終える。


色々と反省点も多かったが、2024年につなげることができればと思う。まずは足首をしっかりと治さないと。。。