奉祝 紀元節(建国記念の日) 皇紀2678年・平成30年2月11日 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇御國、第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)、藤田東湖「和文天祥正氣歌」天地正大氣 粹然鍾 神州。吉田松陰「士規七則」士道莫大於義 義因勇行 勇因義長。日本國領土 尖閣諸島徹底護持、七生報國

奉祝 紀元節(建国記念の日) 

皇紀2678年・平成30年2月11日 

 

 

初代 神武天皇様

 

初代 神武天皇様、奈良の橿原宮で御即位あそばされた吉き日でございます。 

神武天皇様の御偉業を偲び、日本民族、日本国民こぞって御祝い申し上げませう。

 

 

五穀豊穣 天壌無窮

 

萬世一系乃皇統護持

 

皇尊彌榮 皇御國彌榮

 

日本国国歌「君が代」

 

 

紀元節

 

紀元節唱歌
皇紀2553年・明治26年(1893年)-官報3037号付録 
作詞 高崎正風     作曲 伊沢修二
一、
雲に聳(そび)ゆる 高千穂の 
高根おろしに草も木も 
なびきふしけん 大御世(おおみよ)を 
仰ぐ今日こそ たのしけれ 


二、
海原なせる 埴安(はにやす)の 
池のおもより 猶ひろき 
めぐみの波に 浴(あ)みし世を 
仰ぐ今日こそ たのしけれ 

 

三、
天(あま)のひつぎの 高みくら 
千代よろずよに 動きなき 
もとい定めし そのかみを 
仰ぐ今日こそ たのしけれ 

四、
空にかがやく 日のもとの 
よろずの国に たぐいなき 
国のみはしら たてし世を 
仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

 

熱田神宮「本宮」  皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節(建国記念の日) 

愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1 

 

熱田神宮 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)   (撮影不可)

天照大神の荒魂 (画像正面奥) 皇紀2678年・平成30年2月11日

 

孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ) 尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀りしております。式内名神大社に列せられております。(解説:熱田神宮から転載)

 

十種大祓⇒ https://ameblo.jp/yamap888/entry-11564434428.html 

禊⇒ https://ameblo.jp/yamap888/entry-11431908114.html 

 

 

紀元節(建国記念の日) 熱田神宮 https://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/

熱田神宮

御祭神 熱田大神(あつたのおおかみ) 

熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる、天照大神のことです。 

天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。

又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。

 御霊代 草薙神剣  皇位継承のみしるしである三種の神器の一つです。

日本武尊は、神剣の大いなるご加護により東国を平定。尊のなきあと、神剣は宮簀媛命により熱田の地にまつられ今にいたっております。

神剣の名「草薙」は、尊が東国において、この神剣により草を薙いで難をのがれたことからこの名があります。 

相殿神 天照大神 (あまてらすおおかみ) 素盞嗚尊 (すさのおのみこと) 日本武尊 (やまとたけるのみこと) 宮簀媛命 (みやすひめのみこと) 建稲種命 (たけいなだねのみこと)  (転載)

 (備考)

志段味古墳群、尾張氏の娘・宮簀媛命、草薙神剣を祀る⇒ http://amba.to/19UJtVc

 

 

 

愛知縣護國神社 皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節(建国記念の日)

参拝させて頂こうと境内におりますと雪が降って参りました。御英霊の御魂が何かお訴えしたいたいことがございますのでしょうかとも思いました。一時の雪で、その後止みました。

嘘捏造の慰安婦強制連行の濡れ衣、特攻を志願し敢行したにも関わらず、強制で行かされたとの政治家、メディア等による御英霊の名誉を棄損し冒涜する虚偽言説にお怒りではないかとも拝察申し上げる次第でございます。

 

愛知縣護國神社 皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節(建国記念の日)

 

愛知縣護國神社境内にいたカラス 皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節(建国記念の日)

(備考:備忘録)以前、愛知県護國神社で参拝させて頂いておりますと、後ろで「カーカー」とカラスが近くで鳴くのが聞こえたので、振り返りますと後方少し斜め右、2mほどのところで、地面上にいる一羽のカラスが鳴いておりました。神社参拝中にカラスがすごく近くで鳴いていたことは初めてでした。何か御英霊がお訴えされておられるのかとも思いました。他には同じような事象で以前、諏訪大社・上社・前宮で参拝させて頂いておりますと、真後ろに、ピトッと白いアマガエルが飛んできたことがありました(一緒に参拝に行っていた方が白いアマガエルが飛んできたのを現認し、参拝が終わってから教えてもらい現認しました)。生まれて初めて見た白いアマガエルでしたが、それ以来、白いアマガエルを見たことはありません。

(備考)

「元伊勢籠神社奥宮真名井神社」「諏訪大社」⇒https://ameblo.jp/yamap888/entry-11510780054.html 

 

(備考) 

 

サッカー日本代表シンボルマーク八咫烏  

 

 

愛知県護國神社 愛知県名古屋市中区三の丸1丁目7-3 http://www.aichi-gokoku.or.jp/

御祭神 http://www.aichi-gokoku.or.jp/about/index.html

護國の神霊(愛知県ゆかりの御英霊) 沿革 明治2年5月尾張藩主徳川慶勝侯が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、その後嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております。

神社名は、明治8年「招魂社」、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称したが、同30年現社名に復称した。 

鎮座地は、大正7年現在の名古屋市北区名城公園、昭和10年に現社地に御遷座。 同20年3月19日の空襲で御社殿は炎上したが、同33年11月本殿・拝殿等復興、同57年10月社務所竣工、平成10年3月神門・舞殿・廻廊が竣工し、戦災復興が完了した。 

官祭招魂社跡 愛知縣護國神社御鎮座百二十年を記念して、その前身である、「官祭招魂社」跡地に愛知縣護國神社いしぶみ会(境内建碑団体)が時計塔を名古屋市に寄贈し、その基壇として建立。 

旌忠社跡 愛知縣護國神社御鎮座百三十年を記念して、神社創建の地(昭和区川名山町)に「旌忠社跡」碑が平成11年12月20日に建立された。 現在は聖霊病院があり、その母体である社会福祉法人聖霊会のご好意により建立が許された。 (転載)

 

 『浦安の舞』 日本国国歌『君が代』 愛知県護國神社 秋のみたま祭 26/10/30  

天地(あめつち)の     

神にぞ祈る朝なぎの   

海のごとくに      

波たたぬ世を 

 

( 昭和天皇様 御製 昭和8年) 

 

 

富士浅間神社 名古屋市中区大須2-17-35  皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節

 

 

日章旗 大須商店街万松寺通り  名古屋市中区大須3丁目  皇紀2678年・平成30年2月11日 紀元節

 

 

 紀元節 國士舘大学(昭和42年2月11日)

 

 

紀元節 國士舘大学 (画像) http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2242.html;   

 

玄洋社http://amba.to/1N0w8uB;

玄洋社の思想に共鳴した柴田徳次郎(福岡県出身 國士舘創立者)によって、関東一円の学生によって設立されたのが青年大民團である。青年大民團は玄洋社の思想を多くの青年へ教育するための教育機関として私塾國士舘を設立しており、こうした関係から大東亜聖戦直後は國士舘はその名称をGHQにより変更(至徳学園)させられていた時期もあった。(転載、一部編集) 

 

 

おおす新聞 2678(30)-02-11 23:11  配信

 

 

 

第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市) 

 

大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持 

 

古事記1300年 大須観音展

 

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