「ゴッホとゴーギャン展」愛知県美術館(名古屋市東区東桜 29/03/20) | 論説 [ ● ]おおす新聞

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「ゴッホとゴーギャン展」
愛知県美術館
名古屋市東区東桜 29/03/20

VANGOGH and GAUGUIN
reality and imagination


Aichi Prefectural Museum of Art

Higashisakura, Higashi-ku, Nagoya-city, JAPAN
March 20, 2017



フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh
(1853年3月30日 - 1890年7月29日)1890年7月27日 拳銃自決、満37歳没
生誕:オランダ 北ブラバント州フロート・ズンデルト 国籍:オランダ
死没:フランス 墓地:フランス

ポール・ゴーギャン Paul Gauguin
(1848年6月7日 - 1903年5月8日)満54歳没
生誕:フランス共和国 パリ 国籍:フランス共和国
死没:フランス領ポリネシア マルキーズ諸島





主催
愛知県美術館 他
後援
オランダ王国大使館
特別協賛
東海東京証券
協賛
アイシン・エィ・ダブリュ、大和ハウス工業、日本写真印刷
協力
エールフランス航空/KLMオランダ航空、日本航空、オランダ政府観光局、ライトアンドリヒト、JR東海、近畿日本鉄道






ゴッホ展に行きました。(平成29年3月20日)

ゴッホの狂気に触れたとでも言いましょうか。

拳銃自決、二日後に幽冥(かくりよ)に旅立たれたゴッホ。

自分の左耳を切り落としたゴッホ。

37歳という若さで自らこの世を去ったゴッホ。

30歳から37歳の7月27日の拳銃自決、死の直前20日程前(7月始め)の作品が展示されていた。

死の前の絵で展示されていたのは娘の作品であった。「若い女の肖像」

どう表現してたらいいのだろうか、背景の色彩は明るいが、そう、また違う何かを感じざるを得ないところだろうか。

ゴッホは、独特のタッチで描かれていると思った。

一時、共同生活をし、絵の制作を行なっていたゴーギャンも同じく展示してあったが、一通り見た後は、やはり、一人以外の作品を見るには、自分的には大変無理があるので見なかった。

ゴーギャンはフワーとした描写だったと感じた。タッチもゴッホとは全く違うし、絵から感じるものも全く違うと感じた。

ゴッホのみを何度も見た。

ゴッホの魂はどういうものなのだろうか。

オランダ生まれのゴッホは、初期の作品は暗い色調で描かれており、その後、フランスのアルルに滞在してからの絵は、明るい色彩を使う技法を学んだとのことのようで、ひまわりに代表されるような明るい色調で描かれていた。

ゴッホの絵とは、狂気である。

ゴッホの絵は、鬼気迫るものがある。

ピカソとは全く違う絵であると思った。当たり前といえば当たり前だが。

麦の収穫を描いた絵「刈り入れをする人のいる麦畑」は、ゴッホからすると、麦の収穫は死をイメージさせるものとの会場の解説文から、絵の色彩は明るいが、やはり空や太陽の描写、麦の描写、全体から、ゴッホが思う麦の収穫=死を連想させるからだろうか、死の様相が感じられるところだろうか。

ゴッホは、日本画、浮世絵が好きだったようで、二作品、浮世絵と日本画の影響を受けたと解説されている絵があったが、確かに日本的であったと思った。
備考:浮世絵に影響「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」、日本画に影響「ばら」。

主に活動の場をフランスとしたゴッホの絵は、スペインのピカソとはまた違う画風であった。

ゴッホの日本画的な絵は、どこが日本的というと、やはり調和、絵がやさしいという表現といえるだろうか。

侘び寂び、四季折々、山川草木、海に囲まれた日本が織りなす温暖な気候の中での精神概念の発露が、日本画の特徴といえるだろうか、それを咀嚼したゴッホが描いた日本画的な絵といえるだろうか。

ゴッホにはない内面の描写としての発露としての側面として日本画を見ていたのだろうか。

ゴッホの絵の描写は鬼気迫るものが、その絵の深層に介在するということなのだろうか。

自ら耳を切り落とし、最後は拳銃で自決したゴッホ。

今、幽冥(かくりよ)で、かくも有名なゴッホとなっているゴッホご自身はどう思っているのだろうか。

ゴッホの御魂靖からんことを御祈念致します。

鎮魂





オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館に展示されたゴッホが自殺に使用したとされる拳銃(2016年7月12日撮影)。(c)AFP/ANP/Robin van Lonkhuijsen (画像転載)
ゴッホが自殺に使用したとされる拳銃を展示、ゴッホ美術館 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News http://www.afpbb.com/articles/-/3093759

Van Gogh Museum @vangoghmuseum
https://twitter.com/vangoghmuseum

Bezoek het museum
https://www.vangoghmuseum.nl/
Amsterdam, Netherlands

ファン・ゴッホ美術館 Van Gogh Museum
https://www.vangoghmuseum.nl/ja/visitor-information-japanese
オランダ アムステルダム

Van Gogh Brabant @VanGoghBrabant
https://twitter.com/VanGoghBrabant



ファン・ゴッホ美術館所蔵のゴッホの出展作品(「ゴッホとゴーギャン展」愛知県美術館)
古い教会の塔、ニューネン(「農民の墓地」) 1885年
パイプをくわえた自画像 1886年
靴 1886年
モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏 1887年
パイプと麦わら帽子の自画像 1887年
グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝 1888年
収穫 1888年
ズアーヴ兵 1888年
耕された畑(「畝(うね)」) 1888年
ゴーギャンの椅子 1888年
カミーユ・ルーランの肖像 1888年
刈り入れをする人のいる麦畑 1889年


ファン・ゴッホ(1853年3月30日 - 1890年7月29日)
国史年表 抜粋
1853 ペリーが黒船を率いて浦賀に来航
1859 安政の大獄、吉田松陰が江戸に送致される(後に斬首刑となる)
1860 桜田門外の変、大老・井伊直弼が暗殺される
1862 寺田屋事件(薩摩藩尊王派) 生麦事件
1863 新撰組が結成 長州藩で高杉晋作らが奇兵隊を編成
1863 尊皇攘夷派浪士の一団(天誅組)が公卿中山忠光を主将として大和国で決起 大和義挙
1864 池田屋事件 佐久間象山、暗殺される 禁門の変(蛤御門の変) 
1865 天狗党の乱
1866 薩長同盟が成立 坂本龍馬襲撃事件(寺田屋事件)
1867 大政奉還 坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺される(近江屋事件) 
1868 王政復古の大号令 戊辰戦争 江戸城無血開城
1868 赤報隊結成、隊長・相楽総三(3月26日、下諏訪で斬首刑死) 榎本武揚、五稜郭の戦い
1869 東京遷都( 明治天皇様が東京に到着) 戊辰戦争が終結
1870 日章旗が国旗となる 苗字許可令
1871 廃藩置県の実施
1872 陸軍省、海軍省が設置 東京城が皇居となる
1873 改暦ノ布告(太陽暦の導入)
1874 市ヶ谷台に陸軍士官学校が開校される
1875 立憲政体の詔書(元老院・大審院・地方官会議を設置) 樺太、千島交換条約
1876 廃刀令発布 神風連の乱(敬神党の乱)
1877 西南戦争が勃発、西郷隆盛が死去
1878 大久保利通が暗殺される(紀尾井坂の変)
1880 「君が代」制定
1883 陸軍大学校開設
1889 玄洋社・来島恒喜烈士が不平等条約締結を推進する大隈重信外相に炸裂弾を投げつけた後、自刃
1890 教育勅語発布



以下、展示されていた絵画の一部


グラスに生けたアーモンドの小枝 Spring of Flowering almond in aGlass
作者:Vincet van Gogh 所蔵:ファン・ゴッホ美術館
(1888年3月 アルル, フランス)
(解説文:浮世絵の影響を見ることができるだろう。1886年から2年間のパリ滞在中、ファン・ゴッホは日本美術と出会い、浮世絵を収集し始める。それらのコレクションを通して、日本美術の特徴を学び、そして遠い国日本をユートピアとみなして憧れを抱くようになる。ついにはアルルに日本を重ね、「この冬、パリからアルルに向かう旅行中に抱いた感情を、ぼくはまだ記憶している。「ここはもうそれだけ日本のようだ」と目を見張った」と、アルルにやってくる決意をしたゴーギャンでに語るほどであった。(「VANGOGH and GAUGUIN reality and imagination」より一部 抜粋転載))


ばら Roses
作者:Vincet van Gogh 所蔵:ファン・ゴッホ美術館
(1889年5月 サン=レミ, フランス)
(解説文:このような構図からは、浮世絵やジークフリート・ピンクの「芸術の日本」の挿図など、パリ時代にファン・ゴッホが触れた日本美術の影響が見て取れる。かつてテオに書き送ったように、まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生き、描く対象を熱心に研究する「日本人」への憧れや共感は、パリやアルル時代の手紙や作品にも表れている。しかし、ファン・ゴッホが自然の中に没入するようにして、熱心に草花や小動物といった自然の小さな断片をクローズアップで描いていくのは、彼がユートピアとしての「日本」を重ね合わせたアルルにおける生活、芸術家のユートピアを夢見た「黄色い家」の理想が壊れたあとのことである。(「VANGOGH and GAUGUIN reality and imagination」より一部 抜粋転載))

Vincet van Gogh 日本への憧憬
(参考)「桜花」http://amba.to/XWpzR9




若い女の肖像 Portrait of a Young Woman 
作者:Vincet van Gogh 所蔵:クレラー=ミュラー美術館
(1890年6月後半ー7月初め、オーウェルズ=シュル=オワーズ, フランス)
1890年7月27日、拳銃自決、二日後7月29日死去、満37歳



刈り入れをする人のいる麦畑 Wheatfield with a Reaper
作者:Vincet van Gogh 所蔵:ファン・ゴッホ美術館
(1889年9月 サン=レミ, フランス)



ボートの浮かぶセーヌ川 Seine with a Rowing Boat 
作者:Vincet van Gogh 所蔵:個人
(1887年5月半ばー6月後半、パリ, フランス)
(解説文:本作が描かれた正確な場所は定かではないが、狭い川幅からグランド・ジャット島に近い地点であることが分かる。この島はセーヌ川を、クールブヴォワ北西側の広い流れと、ヌイイ=シュル=セーヌとルヴァロワ=ペレ付近の南東側の狭い流れに分ける。画中には建物がまったく描かれていないことから、ファン・ゴッホは後者の岸から、まだ都市化されていない島の方を見て制作したと考えられる。(「VANGOGH and GAUGUIN reality and imagination」より一部 抜粋転載))

(備考)フランスのセーヌ川はジャンヌ・ダルク( Jeanne d'Arc Jehanne Darc 1412年頃1月6日 - 1431年5月30日)の遺灰が流された。(ソース:wiki)
火刑に処せられて息絶えたジャンヌが実は生き延びたと誰にも言わせないために、処刑執行者たちが薪の燃えさしを取り除いて、黒焦げになったジャンヌの遺体を人々の前に晒した。さらにジャンヌの遺体が遺物となって人々の手に入らないように、再び火がつけられて灰になるまで燃やされた。灰になったジャンヌの遺体は、処刑執行者たちによってマチルダと呼ばれる橋の上からセーヌ川へ流された。ジャンヌの処刑執行者の一人ジョフロワ・セラージュは後に「地獄へ落ちるかのような激しい恐怖を感じた」と語っている。(wiki 転載)

Jean-Marie Le Pen appelle Jeanne d'Arc "à son secours" ! 01/05https://youtu.be/7CFrxdnYg6c
(上記動画が再生できなくなっているので同じ動画を追記)⇒https://youtu.be/6MZoTTfcTe0(追記ここまで)
(また再生できなくなっているので再追記)https://youtu.be/frc-MaJCvrc(再追記ここまで)


FRANCE「国民戦線」(Front National:FN)ジャン=マリー・ル・ペン Jean-Marie Le Pen
靖國神社参拝(Tokyo, JAPAN 平成19年・2010年8月14日)
https://youtu.be/t-5nctFYzUs


(追記)参考
オランダ Netherlands、自由党(Partij voor de Vrijheid、略称: PVV)党首ヘルト・ウィルダース Geert Wilders 氏の愛猫「Snoetje と Pluisje」
ヘルト・ウィルダース氏 Geert Wilders @geertwilderspvv https://twitter.com/geertwilderspvv
同氏愛猫「Snoetje と Pluisje」 Snoetje en Pluisje @Wilderspoezen https://twitter.com/Wilderspoezen
De twee poezen van Geert Wilders hebben eigen Twitteracount
http://deredactie.be/cm/vrtnieuws/buitenland/1.2933133
(追記ここまで)





ピカソのデッサン描写を脳裏に焼き付けて来た(28/03/21)ので、某氏の愛猫を模写してみました。
『ピカソ、天才の秘密』愛知県美術館(名古屋市東区東桜 28/03/21)http://amba.to/2dWNyPa



回天特別攻撃隊http://amba.to/1cgrz0Z
樋口寛大尉(昭和20年8月18日午前3時頃、平生回天基地にて、自分が乗る予定だった回天の中で、真っ白な第二種軍装に身を正し拳銃で自決)鎮魂

松尾秀輔少尉(昭和20年8月24日深夜、手榴弾を使用し、大神突撃隊練兵場の国旗掲揚台の下で自決)鎮魂


二・二六決起 憂國烈士http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-1872.html
野中四郎 岡山県岡山市出身 陸軍士官学校第36期 満32歳没
二・二六事件で約500名の下士官兵を率いて警視庁及び桜田門付近を占拠
昭和11年・1936年2月29日 - 山下奉文少将に自決を促され、陸相官邸で拳銃自決 鎮魂

河野壽 長崎県佐世保市出身 陸軍士官学校第40期 28歳没
昭和11年3月5日午後、割腹、頸動脈を突いて自決。しかし果物ナイフだったことから致命傷にはならず、16時間が経った3月6日朝、死去 鎮魂


楯の会 三島由紀夫烈士 森田必勝烈士
昭和45年(1970年)11月25日 陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自決 鎮魂
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2280.html





おおす新聞 2677(29)-03-22 22:35 配信




(追記)
『短編小説「蘇ったゴッホ」(仮) Short story "Revived Van Gogh"』
https://ameblo.jp/yamap888/entry-12285271027.html
(追記ここまで)




第96代 後醍醐天皇 縁の大須(名古屋市)


大須は尊皇の街 萬世一系乃皇統護持

古事記1300年 大須観音展



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