皇紀2676年・平成28年3月11日 東日本大震災五周年追悼式 | 論説 [ ● ]おおす新聞

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皇紀2676年・平成28年3月11日

東日本大震災五周年追悼式









黙祷 平成28年3月11日14時46分
於:国立劇場(東京都千代田区隼町4-1


東日本大震災犠牲者之霊




天皇陛下のおことば

天皇陛下 第125代 
御名前        明仁(あきひと)様
幼少時の御称号  結婚前の御名前  継宮(つぐのみや)様
続柄        昭和天皇様の第一皇男子 
生誕年月日    皇紀2593年(昭和8年)12月23日
御印        榮(えい) 





御遺族代表 (左から)岩手県代表 山本永都さん
           宮城県代表 木村正清さん
           福島県代表 佐久間国幸さん




天皇陛下のおことば 
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h28e.html#D0311


東日本大震災五周年追悼式
平成28年3月11日(金)(国立劇場)

東日本大震災から5年が経たちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。
5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は,決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹あんたんたる気持ちになったことが思い起こされます。また,何人もの漁業者が,船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で,自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者,さらには,一般市民が,厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で,政府や全国の地方自治体と一緒になって,多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また,160を超える国・地域や多数の国際機関,また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年,皆が協力して幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。この結果,防災施設の整備,安全な居住地域の造成,産業の再建など進展が見られました。しかし,被災地で,また避難先で,今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に,年々高齢化していく被災者を始めとし,私どもの関心の届かぬ所で,いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく,1日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう,これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが,その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし,国民皆が防災の心を培うとともに,それを次の世代に引き継ぎ,より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で,たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊みたまへの追悼の言葉といたします。



Address by His Majesty the Emperor on the Occasion of the Memorial Service to Commemorate the Fifth Anniversary of the Great East Japan Earthquake (March 11, 2016)

http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/address/okotoba-h28e.html#0311


Five years have passed since the Great East Japan Earthquake. Together with the people gathered here today, I would like to express my deepest condolences to those who lost their lives in the disaster and their bereaved families.

Five years ago today, eastern Japan was struck by a huge earthquake and tsunami, which left more than twenty thousand people dead or missing. I can never forget the image I saw on television that day of the black wall-like tsunami rushing over the Sendai Plain at tremendous speed. I remember the sense of despair I felt as I wondered how it was possible to evacuate people in the face of such a tsunami. The image of many fishermen bravely heading out to sea in order to safeguard their vessels is also etched deeply in my mind.

Our deepest gratitude goes out to the members of the Self-Defense Forces, the police, the fire department, the Japan Coast Guard, and those in central and local governments, as well as private citizens, who devoted themselves to search and rescue operations under harsh conditions without regard for their own safety or pain.

The nuclear power plant accident, which followed the earthquake and tsunami, has forced many people to leave the places they used to live because of radioactive contamination. Efforts are being made to improve the situation, but my heart aches to think of the people who are even now unable to go back to their own homes.

In the midst of this calamity, numerous volunteers engaged in support activities, together with the central government and local governments throughout the country, to help the afflicted people. Also unforgettable is the enormous assistance extended to us by more than one hundred and sixty countries and regions, many international organizations, and the US forces stationed in Japan.

In the five years since then, people have worked together to overcome numerous difficulties and made great efforts toward reconstruction. As a result, progress has been made in various fields, such as the construction of disaster prevention facilities, the development of safe residential areas, and the rebuilding of local industries. However, many people continue to live under difficult conditions to this day, both in the afflicted regions and in the places where they have evacuated to. In particular, I am concerned that there may be many people who are still suffering unknown to us in places that tend to escape our notice, including the elderly as they advance in age year by year.

It is important that everyone’s hearts continue to be with the afflicted, so that each and every person in difficulty, without exception, will be able to get back their normal lives as soon as possible.

Japan is blessed with beautiful nature, but at times that nature can reveal a very dangerous aspect. It is my heartfelt hope that the people of Japan make use of the lessons we learned at great cost from this disaster, cultivate in each person an awareness of disaster prevention, and hand down that awareness to future generations, so that we can make our country a safer place.

I would like to assure those people who are continuing to make tireless efforts while living in great inconvenience that our hearts are with them and, together with the people gathered here today, express my hope that days of peace and solace will return as soon as possible to the afflicted regions. In closing, I offer once again my most sincere condolences to all those who lost their lives in the Great East Japan Earthquake.


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「東日本大震災四周年追悼式」における内閣総理大臣式辞
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2016/0311sikiji.html

 本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、「東日本大震災五周年追悼式」を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 かけがえのない多くの命が失われ、そして、多くの方の人生を一変させた、東日本大震災の発生から、早くも5年が過ぎました。
 最愛の御家族や御親族、御友人を亡くされた方々のお気持ちを思うと、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意を捧げます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 被災地では、未だに、多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために、住み慣れた土地に戻れない方々も数多くおられます。被災地に足を運ぶ度、「まだ災害は続いている」、そのことを実感いたします。その中で、一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています。住まいとともに、生業の再生も本格化しています。

 被災者の方々お一人お一人が置かれた状況に寄り添いながら、今後とも、心と身体のケアや新たな地域社会の形成、被災地の産業の振興への支援などに力を注ぎ、魅力ある地方の創生につながるような復興を実現していく所存です。

 同時に、多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を、決して風化させることなく、常に最新の英知を取り入れながら、防災対策を不断に見直してまいります。政府一丸となって、災害に強い、強靭な国づくりを進めていくことを、改めて、ここに固くお誓いいたします。

 震災の発生以来、地元の方々や関係する全ての方々の大変な御努力に支えられながら、今日に至っております。日本各地のみならず、本日ここに御列席の、世界各国・各地域の皆様からも、多くの、温かく心強い御支援をいただきました。改めて、心より感謝と敬意を表したいと存じます。

 我が国は、今後とも、世界の皆様に向け、東日本大震災の教訓と被災地の復興の様子をお伝えし続けるとともに、我が国の知見と技術を少しでも役立てていただけるよう、防災分野における国際貢献を、一層強力に進めてまいります。

 我が国は、幾度となく、国難と言えるような災害に見舞われてきましたが、その度に、勇気と希望をもって乗り越えてまいりました。今を生きる私たちも、先人たちに倣い、手を携えて、前を向いて歩んでいくことを、改めてお誓いいたします。

 御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族の皆様の御平安を心から祈念し、私の式辞といたします。

平成28年3月11日
内閣総理大臣 安 倍 晋 三

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「遺族代表の言葉(全文)」

岩手県代表 山本永都さん

 5年前の今日、高校生だった私は、いつものように玄関先で祖父に見送られ、通学のため父に駅まで送ってもらいました。家族の優しさに包まれていたあの日の朝、「行ってきます」のあいさつが、2人と交わした最後の言葉でした。

 避難途中だった祖父は、数日後遺体で見つかりました。遺体安置所で変わり果てた姿に母と泣き崩れ、祖父を守れなかったことを悔やむ日々が続きました。

 大好きだった父はいまだに家族の元に帰らぬままです。震災直後は、なぜ危険な状況にもかかわらず、父は防潮堤の水門を閉めに行かなければならなかったのか、と母を問い詰めてしまうこともありました。今ではあの日、消防団員として住民の命を守ろうとした父を、とても誇りに思い尊敬しています。

 私は今、関東で大学生として生活をしています。

 入学後は、震災のことや不明の父のことが気になり、新しい生活にもなじめず、何度も大学をやめようかと思い悩みました。1年の休学を経て、悲しみやつらさを抱えながらも夢をあきらめず、ゆっくりでもいいから前に進む勇気を持つことの大切さを知りました。

 家族や友人、そしてたくさんの方からの励ましの言葉を胸に、私は再び、看護という学業に専念しています。大震災で受けた世界中からのたくさんの温かい支援にいつか恩返しができるよう日々精進しながら、毎日を大切に、父や祖父の分まで精いっぱい生きていこうと思っています。大震災で失うものもつらいこともたくさんありましたが、この5年は私を随分と成長させてくれました。住民の命を守った父の背中を胸に、いつか私も人の役に立てる人となり、努力を惜しまず前を向いて進んでいくことが、亡き父への親孝行だと思えるようになりました。

 最後に、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉と致します。



宮城県代表 木村正清さん

 人口の8・26%に当たる827人もの尊い命が奪われ、郷里女川が壊滅的な被害を受けてからはや5年を経過しようとしています。

 お父さん、あの日、何度も電話しましたが、出てくれませんでしたね。

 「逃げ遅れてしまったのか、いや、そんなはずはない」と自答しては、2日前の地震でも、「津波が来たら、体一つで逃げるから大丈夫」、力強く言ってくれたその言葉を信じていました。

 一方で、町立病院に入院していた母の退院が間近であることも伝えてくれましたね。実はこのとき、不安がよぎっていました、母が逃げ遅れてしまうのではないかと。

 図らずもその不安が現実のものとなりました。震災直後の実家の光景を今も忘れることができません。基礎を残し跡形もなくなった土の上に、生前の両親の姿を映し出すかのように、折り重なるようにして見つかっためおと茶わん。家内が見つけてくれたこのめおと茶わんが唯一の形見になってしまいました。

 最後にお父さんの姿を見た方が、「お父さん、お母さんの名前を大きな声で呼びながら家に入っていったよ」と証言してくれました。お母さんに対する計り知れない愛の深さと勇気を知り、私はあらためてあなたの偉大さを痛感しています。

 「お父さん、自分の命も顧みずにお母さんを助けに行ってくれてありがとう」

 私は今、地域防災リーダーの養成や防災分野の調査・研究に携わっています。

 お父さん・お母さんの死を決して無駄にすることなく、これからも防災分野で、微力ながら地域防災に貢献できるよう全力を尽くしますので、天から見守っていてください。

 最後に、東日本大震災に際し、被災地を支援してくださった全世界の方々に衷心より御礼を申し上げます。

 亡くなられた多くのみ霊の安らかならんことを祈念するとともに、ご遺族の心の復興が一日も早くならんことを祈念し、追悼の言葉とさせていただきます。



福島県代表 佐久間国幸さん

 私のふるさと大熊町は、春には三ツ森山に桜が咲き誇り、夏は日隠山への登山で汗を流し、秋には坂下ダムで紅葉狩りを楽しみ、冬は熊川に白鳥が飛来する、四季折々の豊かな自然に囲まれた、人々のほがらかさがあふれる穏やかな町でした。

 ところが、5年前に発生した東日本大震災に伴う原子力発電所の事故により、私たちはふるさとからの避難を余儀なくされ、家族が離れ離れの生活を送ることになりました。

 私の父は、長期にわたる避難生活の末に、ふるさとから遠く離れた雪国でその生涯を閉じました。

 避難生活の中ずっと、「大熊の自宅に帰るまでは死ねない」と言っていただけに、雪の降りしきる会津の仮設住宅で最期を迎えたことは、さぞ無念であったろうと思います。

 そして、残された私たちは、生まれたふるさとを離れ、家族がばらばらの生活が長くなるにつれ、ふるさとにはいつ帰れるのだろうか、再び家族が一緒に生活できる日は来るのだろうかと、言いしれぬ不安に襲われます。

 しかし、私たち遺族にできることは何かとあらためて考えた時、再びこのような悲しい事が起こらないように、そして、この大震災を風化させないために、私たちの経験を、これから先も、子々孫々、そして世界中に伝えていくことが重要なのではないかと思います。

 最後に、被災地には、放射能の問題など、まだまだ乗り越えなければならない多くの問題がありますが、みんなで力を出し合って復興を進めていくことを、大震災の犠牲となられたみ霊にあらためてお誓い申し上げ、遺族代表の言葉といたします。

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政府インターネットテレビ
東日本大震災五周年追悼式(全編)
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg13338.html?t=115&a=1




「式次第」


天皇皇后両陛下 ご臨席


開会の辞 菅 義偉 内閣官房長官


国歌斉唱 (演奏:陸上自衛隊中央音楽隊)


黙祷(14時46分)


式辞 内閣総理大臣 安倍晋三


天皇陛下のおことば


追悼の辞 衆議院議長     大島理森
     参議院議長     山崎正昭
     最高裁判所長官   寺田逸郎


御遺族代表の言葉   岩手県 山本永都
           宮城県 木村正清
           福島県 佐久間国幸


天皇皇后両陛下 ご退席


献花 内閣総理大臣  安倍晋三 
   衆議院議長   町村信孝
   参議院議長   山崎正昭
   最高裁判所長官 寺田逸郎

   御遺族代表 岩手県代表
         宮城県代表
         福島県代表

   各政党代表
 
        
   外交団・国際機関等
   (付記:支那は4年連続欠席。ソース:内閣府に口頭で質問した結果)


   前総理大臣 元総理大臣

   衆議院副議長 参議院副議長

   衆議院元議長 参議院元議長 

   政党幹部

   国務大臣

   内閣官房副長官 副大臣

   大臣政務官 内閣総理大臣補佐官

   衆議院及び参議院の常任委員長・特別委員長・調査会長
   憲法審査会会長
   情報監視審査会会長
   裁判官訴追委員会委員長

   衆議院議員

   参議院議員

   都道府県知事

   都道府県議会議長

   政令指定都市市長

   全国市長会会長

   全国市議会議長会会長

   全国町村会会長

   全国町村議長会会長

   その他の参列者の皆様
         
            
閉式の辞 杉田和博 内閣官房副長官

(敬称略)


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名取川 津波 2011/3/11 中継



南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku


東日本大震災 南三陸町伊里前湾大津波


tsunami Minamisanriku, Miyagi, japan
(南三陸ではなく、陸前高田ではないかと思いますが、定かではありません)


【2011.03.11】東日本津波(個人撮影映像)
https://www.youtube.com/watch?v=m8rFSdtc5ic&list=PL4D24C3EA2FE9217A


石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波


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大川小学校(宮城県石巻市釜谷山根1) 
・児童108名中70名死亡、4名行方不明(平成24年1月23日現在)
・教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明
・スクールバスの運転手死亡

鎮魂


 






【東日本大震災】大震災被害者数(2016年3月10日現在)

死亡確認    1万5894人
行方不明者     2561人

避難者17万4471人(2016年2月12日現在)




東日本大震災から五年という月日が経ちました。

ご親族、大切な方、ご友人を亡くされた方々、物心ついた時からの記憶にある思い出深い郷里の風景を無くされた方々、郷里を離れなければならなくなった方々に於かれてましては、昨日のことのように亡くなられた方の在りし日の姿、郷里の風景が脳裏を過ることかと思うところでございます。

ふと、思い出して、涙される方もいらっしゃるのではないかと思うところでございます。

想像をはるかに超える天変地異を体験された方々のご心労ご苦労に思いを馳せ、被災された方々、被災地に思いを馳せ、復興がなされることを謹みてお祈り申し上げます。

東日本大震災を語り継がれておられる方々に於かれましては、そのたびに昨日のことの様に思い出されておられるのでは、と思うところでございますが、複雑なお気持ちが交錯されておられるのではないかとも拝察致すところでございます。

突然、亡くなられた方々を思いますと、いかなるお気持であったか、また、いかなるお気持ちで今、幽世にいらっしゃるのだろうかと、思うところでございます。

東日本大震災で亡くなられた方々の御魂靖からんことを心よりお祈り申し上げます。 鎮魂

不自由な生活を余儀なくされておられる方々にお見舞い申し上げます。

文中、失礼がございましたら、何卒ご容赦賜りますようお願い申し上げます。




おおす新聞 2676(28)-03-16 06:46 配信






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