『「人生地理学」からの出発』 斎藤毅著/鳳書院刊/2021年7月6日発行

 

 創価学会初代会長牧口常三郎先生が大著『人生地理学』を著したのは32歳の青年期。日蓮仏法に入信する25年も前のことでした。この大著から牧口先生の教育観や哲学を読み取り、わかりやすく展開した寄稿が昨年来、聖教新聞に連載されました。そしてこのほど、牧口先生生誕150年を記念して単行本として出版されたのが本書です。

 

     牧口常三郎先生


著者と『人生地理学』との出会い

 著者斎藤毅氏は地理学者。大学院を出て大学教員として初めて着任した当時に、柳田國男民俗学の関連書として『人生地理学』と出会い、感銘を受けたことを本書で述懐しています。自身の著書『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』(古今書院、2003年刊)で展開されている地理教育論も『人生地理学』から啓発を受け、継承・発展したものであるとしています。まさに氏の研究は本書の書名どおり『人生地理学』から出発していて、その意味で斎藤氏にとって牧口先生は学問上の師であるわけです。本書でも敬慕の思いを込めて「牧口師」と尊称しています。

 この書名は本書の内容を表してもいます。『人生地理学』そのものの概説は第2章「『人生地理学』の概要」に留めて、それ以降の章では『人生地理学』から出発した私たちがこの英知を現代と未来にどのように展開していけるかという展望と構想を示したものとなっています。
 宗教者である以前に地理学者、教育者であった牧口先生。その実像を聖教新聞の読者に知ってほしいと念じつつ寄稿の執筆を手掛けたと。信仰上の師弟とは異なる学問上の師弟観を持つ著者ですが、決してそれは別物ではなく深くつながっているのであり、だからこそ牧口先生を哲学や教育理念の次元から知ることの大切さを創価学会員にも呼び掛けているように感じます。

教育学的地理学としての「人生地理学」

 『人生地理学』は刊行当初から多くの好意的書評が寄せられます。湯川秀樹博士の父であり、地理学の大家として知られた小川琢治京都帝国大学教授が初版に寄せた書評もその一つでした。ただし小川琢治氏が唯一疑義を呈した部分がありました。書名「人生地理学」について、既存の「人文地理学」こそ最適だったと指摘したのです。これに対して牧口先生は大家の誤解を招いたとして、後の版で第三十二章に大幅加筆を行って説明を加えます。それによると、従前の「人文地理学」は諸地域の法律、経済、産業、交通など人間社会全般を対象としているのに対し、牧口先生の「人生地理学」の「人生」は「人類生活現象」を指していてやや限定的でした。それは「人間と自然との肉体的・精神的交渉」の有り様を記述した学問領域であると同時に、青少年にとってそれを学ぶことが彼らの成長過程で科学的世界観を形成するために不可欠の教育学的地理学として構想していました。つまり、「人文地理学」が事実上、「人文社会地理学」であるのに対して、「人生地理学」は「人文教育地理学」だったとも言えます。牧口先生は決して独自流派を創設したかったわけでなく、教育という目的の重要性を譲れなかったと考えられます。その意味では「人生地理学」は単に書名としてでなく、教育学的地理学の一つの系統として構想されていたと言えます。
  「人間と自然との肉体的・精神的交渉」として、『人生地理学』の「緒論」で①知覚的交渉、②利用的交渉、③科学的交渉、④審美的交渉、⑤道徳的交渉、⑥同情的交渉、⑦公共的交渉、⑧宗教的交渉、以上8項目を挙げています。これらは、その交渉が人間にとってどのような価値を有していたかであり、後に展開する「美・利・善」の価値論の萌芽がここにも見られます。①④⑥は「美」、②③⑦は「利」、⑤⑧は「善」の価値を含意しているからです。
 これについて、本書第1章でアルプスの山々と当地の人々の関わりを例として示します。かつてアルプスは欧州を南北に分断する魔の山として恐れられましたが、産業革命後の貴族や実業家たちがアルプスの美しさに注目し、当地の観光業を興隆させます。このようにその地に生きる人々が自然と交渉しながら「美・利・善」の価値をもたらす営みを積み重ねてきたことを知ることがまさに「人生地理学」なのです。

「人生地理学」からの「発生的地理教育論」

 今日において「人生地理学」は地理学の一つの系統として確立しているわけではありませんが、本書の著者斎藤毅氏が展開してきた「発生的地理教育論」はまさに「人生地理学」の理念を継承していますので、「人生地理学」の系統に属するものと言えます。そのことは本書第5章で特に展開されています。
 氏はこう説明します。乳幼児の行動起点は母親の懐であり、よちよち歩きしてまた母親の懐に戻る。成長して出歩くようになると行動起点は「ぼくんち」「わたしんち」になる。やがてそれは郷里となり、母国へと拡大していく。
 そしてその過程では、太陽が笑っていたり動物と会話できたりする「児童世界観」から、世界の本当の姿を知り、自分の正確な居場所を知る「科学的世界観」への転換を誰しも必ず経験する。そこで重視されるのが郷土研究です。その土地の地形や気候と格闘しながら産業を根付かせて住み着いてきた先人たちの生活を学ぶことは児童が自己領域を拡大し、「科学的世界観」を確立するのには不可欠だというのです。『人生地理学』の「緒論」には「観察の基点としての郷土」という節が設けられ、郷土研究の重要性が詳しく語られていますが、斎藤氏はその趣旨をピアジェの理論なども踏まえた現代の発達心理学の立場から本書第5章で展開したのです。
 牧口先生の理念を継承する斎藤氏は現代の中等教育における地理教育の重要性や地理科目の独立などを本書でも提唱しています。

郷土愛を全世界に向ける

 牧口先生は『人生地理学』の出版に際して、地理学者・志賀重昂(しがしげたか)の知遇を得て推薦の辞をもらっています。志賀の『日本風景論』は当時の大ベストセラーで、日本の自然風景に対する郷土愛が表現された書として日本人に親しまれました。志賀の郷土愛は国粋主義の色彩を帯びていきますが、牧口先生は志賀と違って日本だけでなく広く世界に目を向け、より多様な世界像の形成を目指しました。『人生地理学』には世界中の人々と自然の交流の話題が広く記されます。世界を知ることは郷土を知ることであり、異文化を知ることは自文化を知ることと表裏一体だと牧口先生は考えていたのです。まずは自らの郷土を愛し、そして世界のどの地域にもその郷土を愛する人々がいて、どの地にも「美・利・善」の価値があることに敬意を向ける――そうした多元的な郷土愛を牧口先生は示していたと言えます。
 これは郷土愛が国家主義やエスノセントリズム(自民族中心主義)と結びつくことを防ぐ重要な価値観であり、多元的平等観と呼ぶこともできます。本書には著者斎藤氏が収集した世界の切手を通して32の国家・地域を学ぶコーナーが同時収録されていますが、各国が自国の風景や文化への誇りを描いて発行した切手を通して、それぞれの地域への郷土愛に触れていくことができます。ある種の世界旅行疑似体験とも言えます。このような素敵な体験を子どもたちにさせたいものです。心の世界が大きく広がっていくことでしょう。例えば、オリンピックのような機会を通じて、自国の選手を応援するばかりでなく、世界の選手の出身国の自然や文化について触れていく機会があればよいと思います。

「人生地理学」から法華経信仰へ

 本書はあくまでも地理学者、教育者としての牧口先生の哲学・理念を読み解いたものですが、同時にそのことが宗教者としての牧口先生の哲学・理念とも密接不可分であることを図らずも示しています。
 具体的に言えば、『人生地理学』には多元的平等観や郷土愛の理念が示されているわけですが、その出版の25年後に牧口先生が出会った法華経には、全人類の平等や主体と環境を不可分とする依正不二論が示されています。牧口先生がそれまでの長年の探究を、法華経を通してさらに深化させ、思索を深めていったことは間違いない一つの必然だったのではないかということを本書から知ることができるのです。