佐藤優氏による「AERA」連載「池田大作研究-世界宗教への道を追う」は2020年10月に連載43回をもって完結し、単行本として発刊されました。本ブログにはこれまでに連載第1回~第15回(単行本の第1章~第3章に相当)と単行本第4章、第5章の読後記を掲載しました。山岡政紀個人サイトでは整理して体裁を整えて掲載しております。

読後記『池田大作研究 世界宗教への道を追う』佐藤優著

 

 

 

今回は第六章への読後記を掲載してまいります。


第六章 大阪事件における権力との闘い(連載第25回~第34回)

大阪事件と小説『人間革命』

本書なかでこの第六章は最も長い。他の章は長くてもAERA連載の6回分だが、本章には連載10回分をかけている。 それは佐藤が大阪事件の意義を重視していることの表れでもあるが、引用の長さもまた際立っている。本章は、池田が大阪事件の詳細を克明に記した小説『人間革命』第十一巻「大阪」、「裁判」の二章から長文を引用している。特に「大阪」の章の引用は原文の半分近くに及ぶ。 創価学会にとって負の歴史とも取られかねない大阪事件の真実を、池田は敢えて未来の創価学会のために克明に書き残そうとした。佐藤もまたその池田の意思を汲んで、ここに力を入れて考察している。

大阪事件は1957年(昭和32年)に起きた。この年の4月に行われた参議院選挙大阪地方区補欠選挙で、創価学会は候補を擁立して支援活動を行ったが、その際に学会員から選挙違反容疑(買収と戸別訪問)で逮捕者が出たのだ。当時の参謀室長・池田大作(小説『人間革命』での人物名は山本伸一)は弱冠29歳ながら、恩師である会長・戸田城聖の命を受けて大阪で選挙戦の総指揮を執っていた。検察と警察はこのときの選挙違反が幹部の指示により組織的に行われたものと決めつけて伸一を逮捕し、二週間にわたり拘留した。この出来事の真実と、そこに展開される戸田と池田の師弟の絆、池田と大阪の学会員の絆を描いたのが「大阪」の章である。

裁判はその後、戸田が逝去し(1958年4月)、池田が創価学会会長に就任した(1960年5月)後も続くが、最終的に1962年1月に無罪判決を勝ち取る。小説『人間革命』は戸田を主人公としてその生涯を描いたものであるが、「大阪」の章に続く「裁判」の章は唯一、戸田逝去後の1962年の無罪判決を亡き恩師・戸田に報告するところまでを描いている。佐藤はこの二つの章の引用を中心に、大阪事件の宗教的意義を考察している。

戸田と池田の師弟の絆

1957年7月3日、池田は炭労問題の決着を見た夕張を発ち、羽田空港に到着するが、既に大阪府警から出頭命令が出ていたため、大阪行きの飛行機に乗り換えなければならなかった。この強行軍の短い滞在時間に、控室で池田を出迎えた戸田が、「伸一(大作)、もしも、もしも、おまえが死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と語ったことは、小説『人間革命』における師弟の名場面としてもよく知られている。

逮捕の手が自らに及ぶときに人がどのような心境に陥るかは経験した者でなければわからない。戦時中に特高警察に逮捕されて2年間の獄中生活を経験した戸田には、逮捕直前の弟子の心境が手に取るようにわかったはずだと佐藤は記す。佐藤自身も外務省勤務時代に鈴木宗男事件で逮捕・投獄されているからだ。その極限状況を共有する戸田と池田が、師弟一体で難局に臨もうとする光景、その絆の深さを、佐藤は共感をもって描写している。ある種の感動さえ伝わってくるようだ。

その日7月3日が、かつて戸田が終戦間近に出獄した1945年7月3日と同じ日であることにも不思議な縁があった。さらに、この7月3日には戸田が妙悟空のペンネームで著した『小説人間革命』を上梓したことも不思議な一致だった。その初版の1冊を戸田は控室で伸一に渡す。この小説には戸田自身の獄中闘争のすべてが主人公・巖九十翁(がんくつお)を通して描かれている。伸一は大阪に向かう機中でこれを読み、自身の使命を自覚し、覚悟を固めていく。このように、大阪事件という一つの法難を我が身で受けきることを通して、戸田と伸一の師弟不二は決定的に強固な絆で結ばれていった。そのことが創価学会の広宣流布の歴史上に重大な意義があることを佐藤は考察している。

崇高な目的は崇高な手段によって達成すべし

大阪事件は一部の学会員が個人として犯した選挙違反に対して幹部が指示してやらせたという嫌疑をかけ、虚偽の供述を引き出した検察の暴挙であり、その誤りは裁判を通して明白になった。この裁判を通して池田は無罪判決を勝ち取り、創価学会全体に向けられた予断と偏見と断固として戦い、勝負を決したことに大きな意味がある。それと同時に、個人の行為とは言え、学会員のなかからそのような違反行為が出たこともまた事実であった。

小説『人間革命』第11巻「大阪」の章では決してそのことを軽視せずに、なぜそのような違反行為を犯してしまったのかを、当事者の心理分析を含めて示していることに、佐藤は注目している。買収は金銭に余裕のある一部の学会員が金という権力の魔性に溺れ、功名心にかられて犯したのであり、戸別訪問は法律をよく知らない未熟さと熱心さが相まって犯したのだとしている。佐藤は、池田がこのことを、過去の反省と未来の発展のために小説『人間革命』に敢えて記した姿勢を評価している。以下の言葉を再掲する。

「崇高な目的は、崇高な手段によらなければ、真の達成はあり得ない。目的は、おのずから手段を決定づけるのである。民衆が幸福を享受できる、真実の民主政治を築くために、同志を政界に送ろうというのであれば、その運動もまた、民主主義の鉄則を、一歩たりとも踏み外してはならないことは明白である。」(小説『人間革命』第11巻「大阪」の章 『池田大作全集』第149巻167~168ページ)

当時の創価学会は急速に会員を拡大するなかで多様な庶民層を糾合していた。その過程で、このような事案が必然的に発生したとも言える。全力で会内教育を行ったとしても、大勢の人が動くなかで完璧に隅々まで選挙のモラルを行き渡らせることは決して容易ではない。しかし、小説『人間革命』に規範を明記することで、学会員が自発的にモラルをもって活動できるように、そして、このような違反行為が今後一切起きないように呼びかけているのである。

一歩後退、二歩前進

小説『人間革命』「大阪」の章からの引用に対する佐藤の論評のなかで特に印象深いのは、いかなる不当な追及にも屈しない堅固な意思を持っていた池田が、敢えて一旦容疑を認める供述をするに至った経緯について、池田の判断を正しかったと評価している点である。

池田が否認を貫き通すことは可能だったが、検察が予断と偏見のゆえに幹部の指示を認めさせる供述を引き出すことに目標設定を置いていることは明らかだった。ゆえに、池田が否認を続ければ、いよいよ会長戸田を逮捕して追及を加えていくことは不可避であり、決して脅しではなく現実的に予見できる段階まで来ていた。「大阪」の章では、山本伸一が蒸し暑い独房の夜に眠れずに悩んだ葛藤と逡巡が包み隠さず描かれている。激しい呻吟の末に、自分が一旦罪をかぶることを決断したのは、ただただ師匠戸田の身を守るため、その一点だった。

仮に戸田が逮捕されても、絶対に屈服しないであろうことは池田もよくわかっていた。しかし、当時戸田は既にかなり衰弱していたので、それは戸田に殉教を強いることに等しかった。「あってはならない。牧口先生に続いて、戸田先生まで獄死させるようなことが、あってはならない。戸田先生を、逮捕などさせてなるものか。絶対に逮捕させてはならない!」との山本伸一の叫びが決断の意味を表現している。無実はいずれ裁判を経て必ず証明される確信がある。しかし、戸田先生を獄死させてからでは、いくら後で無実が証明されても取り返しがつかない。それなら自分が一旦罪をかぶって裁判を通じて必ず無罪を勝ち取ると池田は決断したのだ。

これに対して佐藤は、池田がもし否認を続けたとしたら、戸田が逮捕され、命に関わる事態に陥るのみならず、マスメディアは検察のリーク情報をもとに創価学会を邪教とする大キャンペーンが展開されていたと予想する。つまり、池田は獄中という極限状態で、師匠の健康と学会の未来を展望し、その時点での最善の判断を選択したと評価している(386ページ)。そして、そのように自分を捨てて師匠と学会を守ったのは、池田の信仰による決断だったとしている(411ページ)。

寛容と非寛容との闘い

佐藤は、池田の小説『人間革命』には創価学会の国家観が表れていると述べている(392ページ)。創価学会は反国家的宗教ではない。常に各国の善き国民たるべきと指導している。佐藤はこの点でキリスト教と同じと見ている。ただし、このようにも述べている。「国家が宗教の領域に侵犯してくることがある。そのときは創価学会もキリスト教も抵抗する」と。

創価学会は他者、他宗教、国家をはじめとするあらゆる組織に対して寛容である。それは日蓮仏法、そしてその基盤となる法華経が、すべてを包摂する寛容の哲学を有しているからである。それにもかかわらず、日蓮にしても創価学会にも激しく国家権力と戦ってきた印象を持つ人は多い。その事情を考察するうえで、上記の佐藤の但し書きは非常にわかりやすい。

日蓮による国家諌暁も幕府と他宗派からの法華誹謗に対する抵抗であった。牧口と戸田が国家権力と戦って獄中闘争をしたのも国家神道による信教の自由の侵犯への抵抗だった。夕張炭労問題も組合員の信教の自由を守るための抵抗だった。そして、大阪事件もまた、国家権力が宗教団体に不当な圧力を加えようとすることに対する徹底抗戦だった。

本読後記の第5章で、夕張炭労事件を「信教の自由を抑圧する非寛容の炭労と、信教の自由を守ろうとする寛容の創価学会の闘争」と評した。両者の関係は対等ではなく、攻撃と防御の関係が定まった一方的な闘争だった。非寛容の者は権力と暴力をもって他者の抹殺を企てるのに対し、寛容の者は言論の力で他者に変革を促す。ここで、非寛容の者の横暴さ、残虐さの前に、寛容の者がその慈悲深さのゆえに隷属してしまってはならない。どこまでも断固たる覚悟で正義の言論戦を貫かねばならない。そこに少しでも妥協があれば、寛容の者は非寛容の者の軍門に下ってしまうのである。

 

日蓮の強靭な折伏精神も法華誹謗に対抗して法華経の正義を守り抜くためであった。創価学会は心清らかで闘争を好まない穏やかな人々の集団であるが、仏法を誹謗し、学会を誹謗する者とは断固として戦いなさい、お人好しであってはならないというのが歴代会長の指導である。本書に触れて、そのことの本質を極めて正確に捉えている佐藤の慧眼に心からの賛同を覚える。

創価学会は国家社会のあらゆる非寛容、不正義と真っ向から対決してきた。いっさいの暴力を否定して言論の力で戦い、国家社会の変革を促してきた。そして、本書第7章のテーマである「言論・出版問題」も、第8章のテーマである「宗門問題」もその本質は同じである。