文学部授業「日本語コミュニケーション論」では教科書『新版・日本語語用論入門』を用いて講義を行っています。
各章の章末にある練習問題を小テストとして行い、翌週の講義の最初に模範解答を示し、解説を行います。その内容をここに再掲します。
第3章 関連性理論
[練習問題]p.70
「オリンピック選手に薬物の使用が認められた」という文は多義的な文です。この文の妥当な解釈について関連性理論を用いて説明しなさい。
[ヒント]動詞「認める」の解釈が2通りあります。そして、その発話がオリンピック前のものか、後のものかによって一方の解釈の文脈効果が高くなります。
[模範解答]
問題文「オリンピック選手に薬物の使用が認められた」は多義的な文で2通りの解釈が可能である。一つの解釈の表意は(a)「すべてのオリンピック選手に薬物を使用することが許可された」、もう一つの解釈の表意は(b)「あるオリンピック選手Xが薬物を使用したことが確認された」である。
しかし、文脈によって一方の解釈のみが適切な効力となる。オリンピック開始前なら(a)の解釈、オリンピック終了後なら(b)の解釈のほうが文脈効果が高く、関連性が高い。ここで、動詞「認める」の効力は「曖昧性の除去」によって(a)許可する、(b)確認する、となり、「オリンピック選手」の効力は「指示付与」によって(a)オリンピック選手全般、(b)はオリンピックに出場した特定の一選手となる。
[解説]
ある文の特定文脈における解釈を明示するものをスペルベルとウィルソン(D. Sperber and D. Wilson)の関連性理論では、表意(explicature)と呼びます。多義的な文における異なる解釈は異なる表意によって表現することができます。(p.60)
問題文「オリンピック選手に薬物の使用が認められた」
○表意(a) すべてのオリンピック選手に薬物を使用することが許可された。
○表意(b) あるオリンピック選手Xが薬物を使用したことが確認された。
異なる表意は異なる文脈情報を補完したことによって生じた異なる解釈を反映しています。
☆「認める」の効力⇒(a)許可する、(b)確認する【曖昧性の除去(disambiguation)】(p.64)
☆「オリンピック選手」の効力⇒(a)オリンピック選手全般、(b)はオリンピックに出場した特定の選手x(例えば、ベン・ジョンソン)【指示付与(reference assignment)】(p.64)
それぞれの文脈において文脈効果の高い解釈が選択されます。問題文の「使用」は名詞となっていますが、表意においては(a)(b)いずれも動詞として解釈されます。(a)では「使用する」(未来)、(b)では「使用した」(過去)と、それぞれの時制解釈が表意となるため、オリンピック開始前なら(a)の解釈、オリンピック終了後なら(b)の解釈のほうが文脈効果が高くなります。つまり、それぞれの文脈においてはどちらかの解釈に一義的に決まるのです。
[おまけ]
実際のコミュニケーションでは文は必ず文脈の中で発話されるため、問題文のように文脈から切り離されて多義的な解釈を許す文には、実生活において出会うことはほとんどありません。
[学生からの質問と回答]
名詞「薬物」の意味も(a)と(b)とでは異なっているのではないかとの質問がありました。(b)の場合、「禁止薬物」に限定されます。これは動詞「確認する」によって「薬物」が「検査の対象」であることも含意され、その使用が問題視されることから社会通念として「禁止薬物」に限定されるわけです。いっぽう(a)の場合は正当な目的で使用される合法的な薬物との意味になりますが、許可が出るまでは禁じられていたことが含意されていて、動詞「許可する」の力によって結果的に合法薬物と認められたことになります。このように、(a)と(b)における「薬物」の異なりは解釈の結果として生じる異なりであって、文の多義的な解釈を引き起こすような多義性を、この語がもともと有していたわけではありません。