ここ数年、激務が続き、大好きなクラシック音楽のコンサートにも年に1,2回程度しか行けなくなっている昨今ですが、先日珍しく、ピアニスト伊藤理恵さんのリサイタルに行きました。非常に印象深いコンサートだったので、少し日にちが経ったのですが、報告したいと思います。

これまでも、小さな部屋で少人数の聴衆を前にして堂々たる凄味のある演奏をする伊藤理恵さんのコンサートが気に入って、たびたび伺うリピーターとなりました。もっとも、最近はご無沙汰していて今回は3年ぶりぐらいでしょうか。

今回の目玉は大好きなモーツァルトの幻想曲Kv475を冒頭に演奏されるとのことで、どうしても聴きたいと思い、年甲斐もなく荻窪駅から会場の杉並公会堂まで小走りに向かい、到着したのは開始1分前。はあはあ言っていたところ、受付の方に「大丈夫ですよ。まだこれからですから」と声をかけられました(苦笑)

入ってみると以前よりも大きな会場で、聴衆も増えています。拍手で迎えられた伊藤さんの、演奏を開始するまでのものすごい集中にのっけから圧倒されました。重々しく始まるこの曲ですが、モーツァルトとは思えないほど力強く、そして表情豊かに約10分の全曲を演奏されました。とりあえずお目当てが聴けて満足。

続いて、ハイドンのアンダンテと変奏曲、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番「テンペスト」と名曲の演奏が続きます。小柄で華奢な伊藤さんですが、目を閉じて聴くとまるで巨体の人が演奏しているかのような、男性的で重みのある響きがします。
男性的というのは失礼かも知れません。女性的な繊細さを十分に持ち合わせつつ図太い音を出されるので、性別的な印象は超越しているというべきでしょうか。

メイン曲はシューベルトのピアノソナタ第20番。40分近い大曲ですが、これがとにかくブラボーでした。何がどうすごいかということを簡単には表現できないのですが、この曲が持つ多彩な表情を見事に表現されていて、メリハリがあり、存分に楽しませていただきました。私のお目当てのモーツァルトとは違う、非常に奥行きがあって長編小説のようなストーリー性を感じるこの曲に魅せられ、自分の中にシューベルトという新しい抽斗ができたような気がします。

伊藤理恵さんと言えば、CDも出されているブラームスのイメージが強かったのですが、この日はブラームスは1曲も演奏されず、むしろ、しばらくご無沙汰している間に、シューベルトをメイン・レパートリーとして完全にものにされたのだなと実感しました。

聴衆の拍手は鳴り止まず、アンコールに応えること4度。これまた4曲とも魅力的で多彩な表情を持っていた曲たちでした。後でわかったのはすべてシューベルトだったこと。アレグレット・ハ短調のほか、調性も表情も異なる即興曲を3曲。こんなに堂々と演奏できる曲を4曲も密かに用意していて、決しておまけでもついででもない本格的な演奏を惜しげもなく披露してくれたことに対して、アンケートに感謝の言葉を丁重に記しました。

伊藤さんの演奏からは、これだけの演奏をするまでにどれほどの徹底した自己鍛錬を積み重ねてこられたのだろうと思わせるような一途さが伝わってきました。全8曲で一度も楽譜を使わない暗譜を通したのはプロのピアニストなら普通のことなのでしょうか。ものすごい時間の積み重ねを経て、すべての音符を自身の中に築き上げているように感じられました。

聴衆が何人であろうと、他者の評価がどうであろうと、全く関係無しに我が道を貫いておられる様はあたかも哲学者のようです。演奏するピアノはベーゼンドルファーと決めきっているところも、アンコールでも手を抜かずに自身のコアのレパートリーを出し続けるところも、信念という筋が一本ピシッと入っているように思います。

ある意味で、研究者である我々の生き方と似ているところがあるかもしれません。研究者もまた他人の評価を気にしていたら本物の良質な研究などできないし、無駄になるかもしれない地味な作業を誰も見ていないところで一人黙々と積み重ねていかねばなりません。私にもそれを支える信念があります。何かそのことを共感したような思いがして、今日は感想を記した次第です。