「よろしくお願いします」はいろいろな場面で使える慣習的で汎用的な挨拶表現です。でも、どんな時でも使えるほど完全な汎用性があるわけではありません。

日本語で「よろしくお願いします」が使える典型的な場面の一つは自己紹介です。所属や出身地など、自分の属性について一通り話したあとに、「これで私の自己紹介は終わりです」に相当する締めの言葉として「よろしくお願いします」と言います。これは、「具体的にいつということはないけれども、どこかで皆さんのお世話になることがあるかもしれないので、その時はよろしくお願いします」ぐらいの気分で言っています。つまり、漠然とではあるけれども、自分が相手に負担をかける可能性への配慮を今のうちに口にしていこうということです。ですからこれはネガティブポライトネスが慣習化した一種の配慮表現と言えます。

英語で自己紹介をする場面では、この「よろしくお願いします」に相当する表現がありませんので、自己紹介の締め方もいろいろです。いちばん多いのは"Thank you."で締めるケース。「自分の自己紹介を聴いてくれてありがとう」という意味でしょう。他には、「気軽に声かけてね」とか、その時の状況に合わせた「よい週末を」とか「よい旅を」といった表現で締めます。こちらはポジティブポライトネスの表現と言えるでしょう。

先日、ある言語学のセミナーの案内メールが届き、とても興味深い内容だったので、うちの大学院生たちに「興味があれば参加してはどうか」と書いて転送しました。そうしたらある中国人の院生から(1)「お知らせありがとうございました。よろしくお願いいたします」という返事が帰って来ました。それで私は彼に「君は私に何をしてほしいのか。このセミナーに一緒に参加してほしいという意味か?それとも自分の分も参加申し込みをしてほしいという意味か?」と尋ねたところ、「いえ、どちらでもありません。何もお願いしていません」との返事でした(笑)「よろしくお願いいたします」と書いておきながら「何もお願いしていません」とはこれいかに。

それでよくよく話を聞いてみると、日本人はそういう曖昧で儀礼的な表現をいつもしているじゃありませんか、と言うのです。例えば、「今度お食事でもいきましょう」というのはあくまでも社交辞令だから、真顔で「じゃあいつにしますか?日にちは?場所は?」などと問い詰めてはならないと。

はは~なるほど、彼は「よろしくお願いします」をそういう儀礼的な社交辞令のつもりで使ったわけですね。しかし、日本語母語話者の皆さんなら、(1)の文脈での「よろしくお願いします」が極めて不自然であることがよくわかると思います。

「よろしくお願いします」は文脈によって具体的な意味にもなり得ます。「君、転勤できるか?それともやめておくか?」と訊かれて「よろしくお願いします」と言えば、「転勤命令を受け入れる」との意思表示になります。タクシーに乗ったときに「〇〇駅まで。〇時〇分の特急に乗りたいんで、間に合うようによろしくお願いします」もかなり具体的な《依頼》です。スピードを上げるか、抜け道を通るか、方法は運転手に任せるとして、とにかく間に合わせてください、ぐらいの意味合いになるでしょう。

いっぽう、自己紹介のときのように未来に漠然と開かれている発話なら「よろしくお願いします」は社交辞令として成立します。メールでも、たいていの場合、互いのやり取りの目的が完結しておらず、当面のやり取りが継続するようなときは毎回メールの最後を「よろしくお願いします」で締めてもたいていの場合、自然な社交辞令として成立します。

ところが、具体的なやり取りであって、かつその目的がいったん完結するような場面で用いると、「よろしくお願いします」に具体性が付与されてしまい、社交辞令とは感じられなくなります。例えば、学生が指導教授に推薦書の執筆を依頼したとします。そして、教授から「君から頼まれた推薦書が出来たので送ります」というメールが来たとします。それに対して「お忙しいところ、推薦書をありがとうございました。よろしくお願いします」と返事をしたらどうなるでしょうか。きっと教授から「君はまだ何か僕に頼みたいことがあるのかね?」というメールがもう一通来るでしょう。このような場面では感謝だけでよいのです。

もし、どうしても社交辞令として言いたいなら「今後とも」をつければよいでしょう。「今後ともよろしくお願いいたします」とすれば、「今後もまたこんなふうに何かをお願いすることがあるかもしれませんので、そのときはまたよろしくお願いします」ぐらいの意味に抽象化して、具体性を除去することができるからです。