映画「渇愛の果て、」
アンコール上映が決定しました!!


めでたいですね。

こんなにすぐ。

嬉しいですね!


せっかくのアンコール上映ですので、

今日は違った側面から

作品を見てみたいと思います。

ちょっと読みづらかったら、

すみません。






映画テレビ技術という雑誌に、

有田監督の本作についての

寄稿文が載っているそうです。




公式Xにありました、

一部抜粋文章をコチラにも。



◤俳優にインタビューをしたり、俳優本人の口癖や持っている雰囲気を活かせるようにしたりしながら、ほとんどあて書きで仕上げていきました。◢




当て書きという言葉は聞き馴染みがありますし、手に取りやすいもののように映るかもしれないのですが、


実は今作のミソとなる部分の一つなのではないかと思っています。



元々ご友人の実話を基に始まった企画。虚実の実に重きがある作品です。そして、生身の人間の一回制の表現媒体である演劇、の要素を含んだリハーサルを導入することも、実に重きを置く行為だったかもしれません。そして抜粋部分のような工程もあり、どこまでも実の部分を膨らませていく作業が行われました。


今作の舞台挨拶や取材等で監督は「どんな方にも見て欲しい、こう感じて欲しいというメッセージはなく、受け取って頂く皆さんに自由に感じて頂きたい」という様な事を口にしています。


様々な立場に立つ人物が描かれる物語ですが、適所に配置された役者陣の実を膨らませた背景が「色んな立場の人の気持ちが理解できた」という嬉しいご感想に繋がる一因になっているのかもしれません。


それぞれのシーンの登場人物たちを見ていると、内心と表、同時に2つ以上の複雑な想いが巡っているように見える瞬間があります。当て書きなどの演出手法によって、自分事としてそこに居る俳優を生み出し、含みの部分も同時に掴み取りやすい状態にしているのではないかと推測します。


複数回見る中で、役者の中に流れる重奏的な感情の、どこを掬い上げるかが変わり、都度違った映画体験を得ることができたのも、そうした理由からかもしれません。







少し分かりづらい文章になってしまったかもしれませんが、実際、2回以上ご鑑賞になる方もいらっしゃると思いますので、有田監督の演出法を知った上で楽しんで頂くのも良いんじゃないかと思います。


役に対して親和性のある人を起用し、口調や本人の言葉自体も織り交ぜていく。パーソナルが混ざった役柄は、役割としてではなく、そこに居る人物になっていくのでしょうか。行った演技に対して後からダメ出しする手順というよりは、配置を大切にし、当て書きで役との隔たりをなくした後、自由度のある状態で何が出てくるのかを待ち、揺らぎを映す。


言葉では定義できないところだと思いますがおもしろい演出を受けさせて頂いたのだなぁと改めて振り返っています。


有田監督の出自から演劇的要素に対しての言葉が目立つかもしれませんが、逆に僕には映画に向き合った手法でカメラに映る人物作りが成されたのではないかと思いました。映画の宣伝に至るまで、こだわりを持って取り組む監督。0からの創作、細部に渡るこだわりは、こうしたところにもある訳ですね。




「渇愛の果て、」

@ K's cinema (最寄駅:新宿駅)

6/22(土)〜28(金)

連日16:15〜

上映時間 97分



劇場HPはコチラ↓

ks-cinema.com


一週間限定での上映です。

色々な楽しみ方ができる作品だと思います。

ぜひお見逃しなく。