母、享年92歳 | 山おばさんのPhoto’Blog

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観劇と風景その他写真

2024年4月5日午後6時35分

母、永眠しました。享年92歳。
4月6日通夜4月7日告別式を終えました。

(隣の姉宅で、姉と一緒に暮らしていた母)

 

姪(現在監督)が選手の頃から現地へ応援に行ってた母。
1/28大阪国際女子マラソン
最後に「○○○ツの応援に行きたい!」と止めるのも聞かず。
姉が付き添って無理を通した母。
不整脈・下肢循環障害が悪化したのはこの後からかもしれない。

受診も入院も拒否し続けた母。

看護師の経験から見て今後どういう経過になるのかといろいろ話した結果、

よくならないのであれば、母の希望に沿い、

姉と2人で家で看ていこうと決めました。

入院すると、検査や治療を詳しくできるけど、

母の年齢と状態で、検査をして結果がわかったところで意味がない。

回復が見込めないのであれば、苦痛なだけです!

面会制限もあるし、実際、大勢いる患者の1人にしか過ぎないんですよ。

家族の顔も常に見られない。声も常に聞けない!

 

2/6

不整脈は以前からだが、喋ると息がハァハァと。
下肢が浮腫ってパンパン!水泡形成ひどし!
昔から医者嫌いで
受診も入院も断固として拒否し続けた母。


2/15

介助して、家の風呂に入ることができた。
2/16~

訪問看護・往診開始
訪問看護師による毎日の下肢の処置と週1で医師の往診。

3/10
まだ座ることができて、大声張り上げてマラソンの応援をしていた母です。

動画を見てみると、テレビに映る姪に向かって

「今まで応援させてもらってありがとう。」と。礼をしてました。

 

3/14

介護ベッド依頼
これまでは、付き添って歩行できていたが、歩行できなくなる。
3/19

尿バルン挿入
3/30

バルンから血尿。以降、排尿極少量
尿が出ないことは、最も最悪な状態なんです。ショボーン

「現実であってほしくないけど、もしかしたら近いかも。。。」

と、姉に話しました。
 

4/2点滴
嘔吐あり経口摂取できず。持続点滴(利尿剤入り)

看護師定年退職5年後に また点滴支柱スタンドを見る事になろうとは。。。
その間、親戚が何度もお見舞いに来てくれました。
人の認識はしっかりあり、亡くなる前日まで喋ってました。

 


4/5
箕面の叔父さん(母の弟)が母の状態を知り、

午前中に連日でお見舞いに来てくれましたが、
呼吸してるが、今朝から意識レベルⅢー300
18時過ぎに、姉から「すぐ来て!!」と電話あり!
隣宅へ飛んでいきましたが、もうすでに呼吸停止の状態でした。
18:35
訪問医による死亡時刻確認。
訪問看護師さんと姉と共にエンゼルケアを。
褥瘡や下肢の処置と身体を拭き
着替えは1番お気に入りだった服を着せてあげました。
母にお化粧を。

ただ眠ってるようにしか見えないけど、触れると冷たくて。。。ショボーン

葬儀社のかたが来られ、ベッドから別部屋へ移動し、諸々の準備。
葬儀の手続き。
親戚が夜にも大勢来てくれました。

約2ケ月の間、医師の往診・訪問看護師・ケアマネ・介護用品屋さんなど
あらゆる人が関わってくれてました。
それが仕事と言えども、姉と私にとっては有難かったし助かりました。

 

往診医も毎週来てくれました。明るい口調の往診医で良かったけど。。。

ちょっと愚痴↓

亡くなる2日前に、浣腸や、蛋白関連の特殊な点滴を薦められました。

いったん「ハイ」と返事をしたものの、断りました!

この状態の母にとって、なんの意味がある?身体に負担かかるだけだろ!

訪問看護師さんにも、どうするか?と尋ねると、

「浣腸の指示ありましたけど、今日の状態では怖くて私はできません。」と

正直に言ってくれて、下肢と褥瘡の処置だけして浣腸はせずに帰られました。

夢と現実が混ざってる事もあるけど、この2ケ月間、
喜怒哀楽様々な事をよく、目をつぶりながら喋っていた母。

母の目には、時々、すでに亡くなった母の両親が見えてたりしたようです。
時々撮ってた母の動画を見ると、ほんまによぉ~いろんな事を喋ってました。
母の口調だったり子供の頃に戻ったり、たまに変顔して笑かしたり。
喋れる時に喋っとくねん」と言われてびっくりした事も。

遺言めいた事も言ってたし、わかっていたのかもしれません(悲)
ありがとう~ありがとう~と何度も言ってた母。
子供のように甘えた声で「涙出てるねん。目拭いて~」と
言うけど、涙出てなくて爆笑した事も。。

 

 

4/6通夜
4/7告別式
義兄(姉の旦那)と実の父の時からお世話になっているご住職です。

遺影を見て、可愛くポーズとって微笑まれてるのがいいですね。と。

2月に姪がスマホで撮っためちゃ可愛らしい母の写真を遺影に。

 

 

死亡診断書の病名は、老衰ですが、
心臓・肝臓・腎臓ほぼ全ての機能がダウンな状態に。
意識が亡くなる前日まで喋ってました。
最期まで家で母を看れたこと。

たくさんの親戚や知人が何度もお見舞いに来てくれた事。

入院拒否した母も喜んでると思います。

最後に棺桶を閉められる時は、辛いですね。
マスクの中、姉も私も鼻水でビチャビチャ!(^-^;
お骨拾いは、身体が無くなったことをいやでも見せつけられます。

火葬場への道中、桜が見事に満開でした。

母も見てるかな?と言いながらの道中。

 

4/8
享年92歳!よく頑張って生きてきた!
なんて書いてるけど、人前ではめちゃ強がってる自分がいます。
正直やっぱ、しばらくは無理ですね。
時の経過におまかせしましょかね!

姉の次女も来たけど、長女の姪が多忙な中、5日間休みをとって姉のそばにいて

諸々の手続きや書類関連の事、片付けたりしてくれてたので安心でした。

 

これから、七日ごとの法要が続きます。

七七日(四十九日)法要は、5月18日(土)に。

 

父・母・義父・義母に何度も使用した血圧計と聴診器、

お役目ご苦労さん!

専門の所へ廃棄処分します。