重要事項書き抜き戦国史(125) | バイアスバスター日本史講座

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バイアスバスター日本史講座(291)

重要事項書き抜き戦国史《125》

第三部 ストーリーで読み解く小田原合戦《15》

プロローグ 戦国史Q&A《その15》

なぜ、信長に天下布武の大役が付託されるに至ったのか

(その十三)

 

 どんなに嘘っぽく(荒唐無稽に)思えても、そのワン・カテゴリーが加わることで、関係する事実がいきいきして参ります。そういう発見が可能になるように導くのが私たちの試みる方法論ビジネスの目標の一つです。そうしたリトマス試験紙的なカテゴリーの実例が、楽田城と小牧山城の築城史と密接に関係する生駒屋敷の検証といえましょう。

 風が吹けば桶屋が儲かる式に検索と考察を重ねてわかってきた事柄群のうち、石川清兼の「信長をつくる」計画が発案されるに至ったきっかけを抽出すると、「生駒屋敷が三河一向宗門徒武士団の隠れ本拠」であること、「歴代総代石川氏、織田久長、朝倉宗滴との密接なつながり」に、当然のことながらスポットライトが当たって参ります。以上の二点から三河一向宗門徒武士団の歴代総代家石川氏の天下布武タクティクスが「家康(松平竹千代)を奉じて旗揚げする」ことであったとする仮定が成り立ちます。こうなって参りますと、時の松平家当主広忠が今川義元に六歳になった竹千代を人質に差し出す決断を下したことは極めて憂慮すべき事態で、到底、受け容れられるものではありません。

 実行犯がわかっているという点では、明智光秀が起こした「本能寺の変」と「松平竹千代拉致事件」は双璧といえます。どちらも織田信長が関係しているのが共通項ですが、両者の大きな違いは物証(史料事実)の多寡にあります。本能寺の変は物証にめぐまれておりますが、松平竹千代拉致事件にはほとんどといってよいくらい物証がありません。あっても「ガセ」です。唯一の物証が「今川が松平広忠に竹千代を人質に要求した」という歴史的事実です。

 未発見の事柄を発見するストーリー、これまでにないものを発明するストーリーは、まず概念設計のかたちで空想力によって構想されます。木にたとえますと、発端の背景がこれまで述べてきたストーリーで、木の根の部分に相当します。問題はこれから幹となり、枝葉となる部分ですが、何の木かといえば「松平竹千代拉致事件」と判明しておりますから、必然的に当て嵌めるべきパターンが決まって参ります。当該パターンを参考にして幹を構成する要素に見通しを立てていくわけですが、ここで求められるのが検索力です。ストーリーのこれから先の展開に関係しそうな事実があればよいのですが、まったく存在しないわけですから、これまでにわかっている事柄からキーコンセプトを探し出すほかないことになります。この場合のキーコンセプトが「生駒屋敷は三河一向宗門徒武士団の隠れ本拠」というこれまでの考察で導かれた結論です。

 すると、竹千代が連れて行かれた先は生駒屋敷ということになり、これまでの「織田信秀に五百貫文で売られた」という説明と違ってしまいます。そこに至るまでの間にまだ隙間(ニッチ)があることになります。その隙間を埋めるためには、これまでの考察で得られたもう一つの結論「歴代総代石川氏、織田久長、朝倉宗滴とのつながり」が重要になって参ります。以上の事実に照らしますと、時の総代石川清兼にとりましては、竹千代を今川の人質に引き渡すわけには参りませんので、拉致の実行犯は戸田康光でも、黒幕は清兼であったことがわかって参ります。

 戸田康光のみずからを生贄にする献身的行為は、文亀元年(一五〇一)の「松平家の菩提寺・大樹寺にもしものことがあるときは、いかなる事情を差し置いても馳せ参じる」旨を誓った誓約書に康光の祖父憲光が署名している事実が裏づけます。

 ただし、生駒屋敷に拉致されてきた竹千代はまだ六歳です。いずれは岡崎に連れ戻して元服させ当主の座に就けると致しましても、広忠が当主として存在する現状では望むべくもありません。そのときまで、無事に匿い通すためにも、織田信秀の了承を得る必要がありました。ところが、信秀は凡庸でいくさも下手となりますと、そうも参りません。これは後世のつくりごと「信秀は優秀だった」という認識と真っ向から対立しますが、無能を証明する事実はあっても有能であることを裏づける事実はないのですから、ほかにいいようがないのです。

 けれども、信秀では用が足りないからといって、極秘事項「生駒屋敷は三河一向宗門徒武士団の隠れ本拠」を表ざたにしてまで、他国の土地で当主を挿げ替えるわけにも参りません。ましてや、織田家では嫡子信長を廃して弟の信行を立てようとする動きがあるとなりますと、ますます都合が悪い。そこで、必要は発明の母といわれるように、緊急避難的に構想されたのが「信長をつくる」計画でした。

 どうして賢弟の信行ではなく愚兄の信長でなければならなかったのか。

 これが新たなキークエッションになって参りました。

 信長の織田家相続を実現させるということは、松平竹千代拉致事件の首謀者石川清兼にとりましては、仮に暫定的であるにせよ天下布武を信長に委ねることになりますから、そうすることが「なぜ、信長に天下布武の大役が付託されるに至ったのか」というこれまでのキークエッションの答えになります。

 求める答えにようやく到達致しました。次回からは、新たなキークエッション「どうして賢弟の信行ではなく愚兄の信長でなければならなかったのか」の答えに言及することに致します。

 

                     《毎週月曜日午前零時に更新します》