父の戦争 | 婆ちゃんそれ100回聞いた

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半径数メートルの世界

今日でお盆休みも終わりですね。
去年の我が家の水不足やそれぞれの家庭の都合で
今年も静かなお盆でした。
 
暑さを言い訳にたっぷりグダグダ出来ました爆  笑
 
お盆は終戦記念日前後
 
 
父の体験談記録しておこうと思います
 
父は昭和6年2月生まれ
昭和19年いまの中学2年生の時
満蒙開拓団の農業指導者となるため召集され
伝習農場で集団生活をしたそうです。
 
農業指導者になるためと言いながら
実際は近辺の農家の労働力にかり出され
ついでの軍事教練と厳しい毎日だったそうです
まだ14歳位の子供達夜になると布団の中で泣いていた子もいたとか
 
面会にきた家族からの食べ物とか隠し持っていて
上官の居ない時取り合いした炒り豆が美味かったとか
手伝いに行った農家の庭先に干してあったこんにゃく芋
こっそり食べようとしたら
見つかって「あんにゃ、それ食うと腹壊すぞ」と笑われ
こんにゃく芋はそのままでは毒があるって知らなかったそうで
見つかって命拾いという失敗談
空腹と寂しさの日々
 
終戦後すぐに帰してもらえずそういう生活が
親が迎えに来てくれるまで1か月以上続いた
 
ということでした。
 
日本だけが悪者と学んできた世代
外交で戦争回避が出来れば良かったのですが
話しても分からないのが世界の常識
戦争は避けようがなかったのではなんて思うこの頃
国の為に戦った方々に感謝