<90>故浅井会長の寿命と顕正会の広宣流布

故浅井会長は、
■今(R6年)から30年前の、平成6年(1994)8月の男子班長会で、

今度の本格的な他国侵逼の時こそ国立戒壇の時である。それまであと二十年、‥‥共に戦おうではないか」
 と宣言。
9月度総幹部会でも、
「“残された時間”はあと二十年」と断言。
20年後は、「平成26年」です。
しかし、
その 平成26年(2014)になっても、
「他国侵逼の難」は起きず、「国立戒壇」も実現しませんでした
それは、
仏法の道理とは関係なく故浅井会長が自身の寿命から逆算して、
「“残された時間”」を
「あと二十年」としたからです。

 

故浅井会長は平成6年(1994)に「あと20年」と宣言する以前にも、
昭和57年(1982)の武道館総会で、
「あと25年(は2007年)で広宣流布できなければ核戦争で絶滅」と宣言。
 この武道館総会で日蓮正宗にゆかりのあった“妙信講”の名を捨てて、自ら考えた“顕正会”と名乗ります。この時故浅井会長『50歳』、25年後は『75歳』この時はまだ寿命まで余裕を持たせていました。


―説明していきます―

■平成6年(1994)故浅井会長『62歳』

 

日本人男性の平均寿命は、およそ“82歳”。
82歳を過ぎて、どれ程生きるのかは予測がつかない。
そこから、
この平均寿命の“82歳”がデッドラインと考えたのでしょう。

平均寿命の82歳(H26)から自身の年齢62歳(H6)をマイナスした
“20年”という年数が、ここで出てきました。
こうして顕正会は、
故浅井会長 82歳まで“あと20年”の逆算が始まりました。
・同年9月度総幹部会で、
・「今度の本格的な他国侵逼の時こそ国立戒壇の時である。それまであと二十年
と、宣言。


■平成9年(1997)故浅井会長『65歳』

この年に出現する“ヘールポップ彗星”を“文永の大彗星”に見立てて、
●諌暁書 『日本国民に告ぐ!』
『日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ』を刊行。(表紙に彗星の写真)
首都直下型の大地震が起きると予言し、
それから一気に破局に向かうと断言。
日本中にこの諌暁書を配布するようにと全顕正会員に指示。
しかし、
諌暁書の大規模な配布を敢行してみたものの、指導したように顕正会は拡大しません。


■平成16年(2004)故浅井会長『72歳』

「残された時間はあと二十年」と断言した平成6年から10年が経過。
国立戒壇が実現する兆(きざ)しは全くなく、
「平成26年、国立戒壇の時」と言っていた事が虚言になることを察知した故浅井会長は、
いつしか、顕正会の目標を300万に変え
300万の折伏、折伏、折伏、と追い詰めていきます。


顕正会員の意識を、“目標300万”にスリ替えることに成功した故浅井会長は、
ここで、

「残された時間は“あと二十年”」との過去の発言をなかった事にし、
残された時間は“少ない”」とスリ替え、

●諌暁書(修正版) 『再び日本国民に告ぐ』
『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』を刊行。
“残された時間は少ない”
・早く一国の総意を以って国立戒壇を建立しなければ“国が持たない”と断言。

この「残された時間は“少ない”」という言葉の、
故浅井会長(72歳)の本心は、
自身の寿命の「残された時間は“少ない”」ということ。
“国が持たない”」とは、
自身の「“寿命が持たない”」という事でしょう。


■平成20年(2008)故浅井会長『76歳』

顕正会員は、300万の折伏、折伏と追い詰められます。(顕正会の折伏は、折伏ではなく勧誘)
「いまや百三十万に達せんとし、三百万も眼前となってきた」(H20.8男子部幹部会)
三百万の大陣と、男子部十万結集。…」(H21.8男子部大会)
と。
こうして顕正会員の脳裡からは、
平成6年に「あと二十年、平成26年・国立戒壇建立」と断言していたこと、
完全に消え去りました。


■平成26年(2014)故浅井会長『82歳』

デッドラインの平均寿命82歳、平成26年となりました。
しかし、
大規模に配布、諌暁書で断言した、
本格的な他国侵逼の難
首都直下型の大地震
国が持たない
何一つ実現しません。

ところが、
自分が断言したこと、何の責任も取ろうとしません。
それどころか、
負け惜しみのように、
「もう広宣流布は、ギリギリの最終段階」(総幹部会H26年7月)
などと指導。
断言した「他国侵逼の難」が起きない事に、全く悪びれた様子もない。

そして
平均寿命の82歳を超えても、まだ元気であることに自信を得たのか、
会員を引きずっていく次の手を打ちます。


■平成27年(2015)故浅井会長『83歳』

「基礎教学書」を発刊。
ここでも、
「広宣流布はもう眼前である」(P3)
「広宣流布最終段階」(同)
と、
負け惜しみを言い続けます。


■平成28年(2016) 故浅井会長『85歳』

「残された時間は少ない」と広告文を作成。
平成6年の諌暁書と同じく、
大量配布を全顕正会員に指示。


■平成30年(2018)『87歳』

自身の寿命が定かではない事から、
「〇〇“年代”」と、
達成年をあいまいにした新ワード「20年代」を使い始めます。
・同年5月度総幹部会では、“2020年代、広宣流布”として、
・「『広布の決戦場たる20年代』に突入する
「東京・埼玉・神奈川・千葉の一都三県は地方ではない、本陣であります。
この本陣は、
『20年代の然るべき時』に「本部総会」を埼玉スーパーアリーナで開催するので、
その総会の主力として全代表が参加してほしいと思っております」
と宣言。

組織では、
来る年も、来る年も、戦い!戦い!、結集!結集!と追い詰められます。
いくら広告文を配布しても、広宣流布どころか300万すら見えない。


■令和5年(2023) 故浅井会長『91歳8ヶ月』

故浅井会長のメモ(6‐7月法戦折伏成果一覧)
・「300万までの残、563,964人 あと5年以内に成ずべし」と。
(故浅井会長遺品の中から見つかる)顕正新聞R6.8.5号

“あと5年”は令和10年(2028)です。
91歳半ばを超えましたが、体調に自信があったのでしょう。
この期に及んで“あと5年”と達成年限を記します。
この時故浅井会長は、
まさか3ヶ月足らずの内に臨終を迎えるとは、全く予測できなかったのでしょう。


■令和5年(2023)10月16日未明-死去『91歳10ヶ月』

故浅井会長は、
臨終の準備は何もできず、
代表理事の城衛氏や家族に何も言い置くことができず、急死。
故浅井会長が宣言して来た事、全て虚(むな)しくなりました。
実現したのは、
「宗教法人顕正会の代表理事を息子の城衛氏に世襲し、顕正会の財産を譲り与える事が出来た」
ぐらいではないでしょうか。

故浅井会長が人生をかけて挑(いど)んだ“顕正会の 偽広宣流布、偽国立戒壇建立-”。実現しませんでした。
日蓮大聖人御遺命の広宣流布・本門寺の戒壇建立とは何ら関係がありません

立正安国論の「他国侵逼の難」や
以前から言われている「首都直下型の大地震」や「東南海地震」は、
いつ起きるとは私達凡夫にはわかりませんが、
今は「国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆 歳を逐って蜂起せん」(日興上人申状)と仰せの
“末法の直中”ですから過去にも起き、これからも起きます

しかし、故浅井会長のように
「当たらずとも遠からず」などと予言することは、仏法の道理ではありません。
仏法の道理ではないから、悉(ことごと)くハズれるのです。

次男の城衛新会長は、仏法の道理とは関係のない、
故浅井会長の遺品にすがって、手法を真似して顕正会を運営していくのでしょう。
顕正会員の方、新興宗教の顕正会では成仏出来ないどころか悪道に堕します。
早く謗法の顕正会を捨てて日蓮正宗に帰伏して下さい。

 



 ⇒ブログ記事の一覧へ