【「2月11日「建国記念の日」」(2012年2月12日 投稿)】 | 山野ゆきよし日記

【「2月11日「建国記念の日」」(2012年2月12日 投稿)】

 

 Facebookには「思い出」機能なるものがあり、過去同じ日に投稿したものがリアップされてくる。なかなか、懐かしくも、時には、へえっこんなことを考えていたのかという感じで読み込むこともある。

 

 今から12年前、前日2月11日「建国記念の日」に思ったことを簡単に整理したもの。なかなかいいこと言ってるじゃないか、と思ったが、よく考えたら49歳。しかも、いやしくも選挙で選ばれた特別公務員なんだから、これくらいの問題意識があって当たり前だな。29歳くらいなら、もうちっとは褒めてやってもいいかもしれないけど。

 

 

 写真の日章旗は、昨日掲揚したもの。今年は、元日以降、あまり国旗を掲揚する気にはなれなかったので、なんだか久しぶりのような。

 

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【「2月11日「建国記念の日」」(2012年2月12日 投稿)】

 

 2月11日「建国記念の日」奉祝の会に出席。


 挨拶で次のように述べる。

 「今日は、建国記念の日。紀元前600年のこの日、神武天皇が即位された日として明治6年に紀元節として定められた。日本という国が誕生した日だ」

 「ところが意外なことに、明治6年のそのときまでの日本において、国が興った日、日本という国が誕生した日という発想は全くなかった。ましてや、お祝いをするということなんぞ全く考えもつかなかった」

 「『日出処の天子』とした聖徳太子も、『大化の改新』の天智天皇も、『壬申の乱』の天武天皇も、『建武の新政』の後醍醐天皇もそうだ。『古事記伝』を著した本居宣長でさえそうであった」

 「では、なぜ明治政府の為政者たちは日本という国の、その建国された日を明確にしようとしたのか」

 「ここからは私の推測の域を出ない」

 「明治維新。統一国家が作られた。しかし、当時の人々にとって、『くに』とは、あくまでも『藩』であり、他藩は所詮『外国』である。だから、『脱藩』なんていう言葉があり、そのことは命をかけたことなのである。現代で言うところの『亡命』であろう」

 「明治新政府の為政者たちに喫緊に求められることは、帝国主義時代の世界の趨勢において、『藩』同士で争うのではなく、『日本』という明確な統一国家という概念を人々に持ってもらうことであった」

 「日本という国を明確に意識してもらう。そのためには皇室を中心とする日本の歴史を人々にわかりやすく示すことが必要」

 「それが、日本書紀で書かれている神武天皇即位の日である、現代の暦に直したところの2月11日。この日を紀元節として『日本』が生まれた日として『国民』に知らしめる必要があった」

 「昨年は、日本という国の存立が問われた年でもあった。さらには、昨今の国政の混迷を見るにもつけ、今一度、明治の先人たちが、如何な想いを胸にして、『日本』という統一国家を意識したのか、さらには、『国民』にその意識の涵養に心血を注いだのか」

 「そのことに想いをめぐらす、そんな日でありたい」

 「折しも、今年は古事記が編纂されて1300年の節目の年である。さすがに、原文とは言わないが、今一度古事記に触れて、日本の歴史の逍遙に浸りたいものだ」

 少々、解説も必要かもしれない、いや、余談を含めてあったほうがいいのだろう。今から出かけなければいけないので、それは後日改めて。

 

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 私の悪い癖。『後日改めて』と言いながら、12年も経ってしまった。もちろん、何を書こうと思っていたのかも忘れてしまった。