金沢市民憲章の歌「金木犀の匂う道」と小椋佳氏
今月の日経新聞「私の履歴書」は作詞作曲家の小椋佳氏(肩書きは日経新聞に掲載のもの)。毎朝、日経新聞を手にすると真っ先にに読む。
銀行に勤めながら歌の創作活動を精力的に続けてこられた。さまざまな依頼を受けての活動。そのことに触れた上で、昨日1月28日付けではこんな記述がある。
「学歌、校歌、社歌、市歌、団体歌等々。いつの間にか私の手を離れていった歌曲が2000を数えるほどになっていた。」
実は、金沢市にも小椋佳氏による公の歌がある。昭和50(1980)年に創られた金沢市民憲章の歌「金木犀の匂う道」(中田敏明作詞・小椋佳作曲)である。
金沢市では、その前年に「金沢市民憲章」が作られる。「市民憲章」なるものは行政が主体となるものではなく、市民、特に若い世代が中心になって作るべきではないかとの考えのもと、金沢青年会議所メンバーが中心となって作ることになった。
その結果、作られたものが現在の「金沢市民憲章」である。金沢市のさまざまな行事に際して唱和されるものとなった。
その翌年、新しく作られた金沢市民憲章を普及させるべく「金沢市民憲章の歌」を制定することになる。作詞は、公募により金沢市在住の中田敏明氏の作品が選ばれる。「金木犀の匂う道」、金沢らしい素晴らしい詞である。
作曲は、やはり金沢青年会議所メンバーが中心となって「シクラメンのかほり」を作曲した小椋佳氏に依頼。さすが、金沢青年会議所。
後3日だけの小椋佳氏の「私の履歴書」ではあるが、そんな金沢市との接点に思いもはせながら読んでほしい。
銀行に勤めながら歌の創作活動を精力的に続けてこられた。さまざまな依頼を受けての活動。そのことに触れた上で、昨日1月28日付けではこんな記述がある。
「学歌、校歌、社歌、市歌、団体歌等々。いつの間にか私の手を離れていった歌曲が2000を数えるほどになっていた。」
実は、金沢市にも小椋佳氏による公の歌がある。昭和50(1980)年に創られた金沢市民憲章の歌「金木犀の匂う道」(中田敏明作詞・小椋佳作曲)である。
金沢市では、その前年に「金沢市民憲章」が作られる。「市民憲章」なるものは行政が主体となるものではなく、市民、特に若い世代が中心になって作るべきではないかとの考えのもと、金沢青年会議所メンバーが中心となって作ることになった。
その結果、作られたものが現在の「金沢市民憲章」である。金沢市のさまざまな行事に際して唱和されるものとなった。
その翌年、新しく作られた金沢市民憲章を普及させるべく「金沢市民憲章の歌」を制定することになる。作詞は、公募により金沢市在住の中田敏明氏の作品が選ばれる。「金木犀の匂う道」、金沢らしい素晴らしい詞である。
作曲は、やはり金沢青年会議所メンバーが中心となって「シクラメンのかほり」を作曲した小椋佳氏に依頼。さすが、金沢青年会議所。
後3日だけの小椋佳氏の「私の履歴書」ではあるが、そんな金沢市との接点に思いもはせながら読んでほしい。