黄金の刻(とき) 楡周平 | 腹六分目の幸せ

腹六分目の幸せ

ブログの説明を入力します。

黄金の刻(とき) 楡周平

 

 

内容紹介

 「会社は、経営者が金儲けするためにあるのではありません。従業員を幸せにするために、ひいては幸せな社会をつくるためにあるんです」

明治七年。十五歳の服部金太郎は、成長著しい東京の洋品問屋「辻屋」の丁稚として働いていた。主人の粂吉は、金太郎の商人としての資質を高く評価し、ゆくゆくは妹の浪子と結婚させ、

金太郎を辻屋に迎え入れようと考えている。

だがそんな思いとは裏腹に、金太郎は、高価ゆえに持つ人の限られていた「時計」に目をつける。

鉄道網の発達により、今後「正確な時間」を知ることの重要性が高まると見抜いていたのだ。 いずれは時計商になりたいという熱い想いを粂吉に伝えるがー。

経済小説の名手が贈る世界的時計メーカー「セイコー」創業者

服部金太郎の一代記。

 

ピンク音符ブルー音符むらさき音符ピンク音符ブルー音符むらさき音符ピンク音符ブルー音符むらさき音符ピンク音符ブルー音符むらさき音符ピンク音符ブルー音符むらさき音符ピンク音符ブルー音符

 

このところ、図書館本の予約に手を抜いていた為、なかなか読みたい本を借りられずにいました。

調べ物の本を返しに行った時、棚にあったこちらの本を見つけ、服部金太郎?もしかして、服部時計店? 確証はなかったけれど借りて来てみました。

OLだった頃から何十年も経って、銀座に出た時は眺めていた、あの4丁目WAKOビルの歴史を知ることになるなんて、何だか

感慨深いものがありました。照れ

どうでもいい話ですが、くまさんは外苑前駅、私は京橋駅で同じ銀座線近くの会社勤めで、待ち合わせする時はこのWAKOビルのはす向かいの日産ギャラリー。私は銀座まで一駅だったので大体歩いて行ってたけれど、それでも私の方が先だったから、ガラス張りの室内からこの時計を眺めていたのを思い出します。

 

SEIKOの創業者・服部金太郎の生涯を描いた小説です。

15歳で辻屋という洋品問屋に奉公に出た金太郎。主人の粂吉は、奉公人だからとさげすむことなくきちんと名前で呼び、人生経験を奉公人たちに話して聞かせ、教えられたことだけでなく彼らの努力はよく見ているような人だった。人との接し方、商売とは… 金太郎なりに多くのことを学んだ2年間、年季奉公があける時、粂吉は金太郎の商才を見抜き店に残るよう勧めた。だがまだ幼いと思っていた17歳の金太郎には、すでに大人顔負けの将来の夢が芽生えていた。時計商になるという夢、それはすべて日頃の粂吉から学んだことから思い付いたことだと聞いたら、そんな金太郎の夢を応援したくなった粂吉、懇意にしている時計職人を紹介し、そしてそこからまた次の修行先が紹介され…と、紆余曲折はあったものの、金太郎は温かい人達に恵まれ続けた。

勤勉で穏やかな性格、誠実、後先考えない気遣いができる人、

そんな金太郎を回りがほおっておく訳がない、災難に遭っても

心を寄せてくれる人がいた。

生涯の友であり協力者であった吉川鶴彦、彼がいなくては今のSEIKOは無かったと初めて知った。

服部金太郎も人は宝だという。松下幸之助の言葉かと思っていたけど、渋沢栄一も言っていたらしい。

私もこの言葉が好き、心の支えになるから。