蚕影三神像と行田のお伊勢まいり | 降っても晴れても

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今年の7月に、埼玉県立川の博物館へ行った。その時は「今も残る養蚕習俗」という特別展をやっていて、埼玉県内蚕神リストというパネル展示があったので写真を撮っておいた。

140ヶ所あまりのリストの内容を見ると蚕影神社というものが大多数を占めていて、要するにそれは境内社とか石祠を意味するのである。となると、興味度的にはかなり乏しくなってくる。そういう前置きがありまして、極めて数少ない石造物と繭額を探訪することとなったのです。

 

【2024年8月27日】

 

1.日高市高萩の蚕影三神像(こかげさんしんぞう)

誰が最初に名付けたのだろうか、蚕影三神像とは響きの良い名前である。しかも類例はほとんどないのではないか。資料の写真を見ただけで、これは行かねばと思った。

金色姫と 霖異大王が桑の葉を入れた笊に何かを施そうとしている

 

この石造物は下高萩公会堂にある。後方に見えるのは圏央道で、県央鶴ヶ島ICから近い。オープンな環境だから見学もしやすい。5時50分に到着したので、朝の光が広がり始めたばかりだ。

 

まず右の小祠の馬頭観音から。三面六臂のバランスの良い姿だ。

地蔵菩薩は2体のみ。タスキをたくさんかけていた。

 

こちらが蚕影三神像、知ってて見なければ何を意味するかわからないだろう。豪華絢爛で、青面金剛庚申塔を柔和にしたような印象を受ける。薬師三尊像か、とさえ見える。

明治期のものかと思えば文化5年(1808)で、県内最古の蚕神というから驚きである。なにゆえに、日高あたりでこんな石造物が誕生したのだろうか。

 

蓮座に坐しているのは、蚕影大権現。手に持つのは桑の枝ではなくて、未敷・開敷蓮華である。このような像容の組み合わせを以て、蚕影三神像としたのには信仰的・習俗的な根拠があったのだろう。

 

2.寅稲荷神社(深谷市岡)

埼玉県内の蚕神神社は圧倒的に深谷市に多い。その中でもここには特筆すべき繭額が奉納されている。駐車場がないのが難点だ。社殿は古墳の上に建ち、開放的な拝殿に多数の奉納額が掲げられている。誰が考案したのか、繭額である。

 

繭の計算したような転び具合が面白い。繭は銀行融資の担保にもなったというから、収穫が大きければ喜んで奉納しただろう。

 

色の違いと配列で、何かを意味しているようだ。

 

3.八坂神社(深谷市岡)

ここは養蚕との深い縁はないが、近くに3社あるので立ち寄った。百庚申がある。目の前の道は旧中山道だ。20数年前に中山道走り旅をした時に、ここを通ったはずだ。しかしさすがに覚えてない。前に進むことだけを考えていた。

如意輪観音なども混じっている。

 

庚申信仰の勢いの強さを感じる。

 

享保元年、武州榛沢(はんざわ)郡岡?村。立派な庚申塔です。

 

4.岡廼宮(おかのみや)神社

その近辺の国道17号沿いにある神社。Googleで建築彫刻が目についたので立ち寄ってみた。ここでは「岡の獅子舞」という無形民俗文化財が伝承されている。

本殿へ回り込んでみると、すばらしい彫刻群が飛び込んでくる。

軒下から壁面まで、透かし彫りで埋め尽くされていた。

 

一棟丸ごと芸術品です。しかしこれに関する詳しい由緒・年代は不明。どこにも書いてない。

 

軒下の持ち送りが三段にもなっている。これが17号からもチラリと見える。詳細が判ればもっと面白いのに。

 

5.行田の町を少しだけ

深谷から行田まで大移動。郷土博物館の開館は9時からで、まだ少し間がある。それで、忍城の周辺を歩いていきます。ここは八王子~日光の千人同心街道の宿場だった。だからここへは数回来たけれど、忍城址を通り抜けたのは始めてだった。

 

行田と言えば足袋蔵の町です。足袋蔵はほぼ全域を見て廻ったことがある。今日は時間もないし、朝から暑いのでさらっと見ていきます。

大谷石の蔵もある。あと数年したら、もう一度ぐるっと全部見てみたい。

 

6.行田市郷土博物館

9時になったので入館します。200円という安さです。家に置いてあったパンフレットを見たら開催期限が迫っていたので、急遽訪れた次第。古今東西の旅シリーズは面白いです。

建物もなかなか味がある。外装の工法が気に掛かる。

 

常設展の花形は、やはり武蔵型板碑だ。建治元年(1275)の阿弥陀種子板碑の迫力。(複製)

主君の冥福と、生きとし生けるものへの功徳を願い造立したものという。

 

こちらは足袋コーナーの入口。

日常生活で足袋を履いてたらお洒落だが、まず履かないです。

 

足袋の商標は実に面白い。養蚕関連のシルク商標に似た感興がある。

相当な数が展示してあった。

 

特別展のコーナーです。お伊勢参りについては申すまでもなく、行田でも大流行した。行くなという御触れを破ってまで行く者が絶えなかった。無事に帰ったら奉納額を納める。道中の様子が描かれていて興味深い。

行田からだと中山道経由で美濃路から七里の渡しで伊勢へと向かったのではないだろうか。そんな道中記があったら読んでみたいものだ。

 

富士講などと同じく、御師というものが存在した。御師は表向きは出ることがなく、手代が全てを仕切って旅のコーディネートを行なったのである。地域ごとのテリトリーが旦那場である。

こちらは明治9年のもので、風俗も江戸期とは異なってきている。

 

伊勢では御師の屋敷で神楽が奉納された。何事にもたいへんな費用がかかったようである。そこまでしてやるお伊勢参りのパワーというのはすごい。文政期でも半年で500万人の参詣があったほどである。貴重な絵馬の数々だった。

 

ちょっと耳慣れないものもあった。大麻と書いて「おおぬさ」と読む。お祓いの際に用いられる木綿や麻を意味する。全く知らない遠い世界の事象のようである。

 

いろいろありましたが、以上で「蚕影三神像から行田のお伊勢まいり」の半日旅は終わりです。気になっていたことが幾つも実現してよかった。

 

TABI-KURA