ちょっと五の池タイム | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

御嶽山の剣ヶ峰を越えて、五の池小屋までやってきました。

これから晩飯までの間は、リラックスタイムと三ノ池散策をすることにしました。

 

三ノ池は黄泉の世界か現世か

 

五の池小屋は、「ピークに登らなくてもいい山登り」を謳い文句にしている。

洒落た仕掛けと雰囲気が魅力の山小屋だ。しかし夏のこの時期は登山者が多すぎて食事も四回に分けるほどだし、落ち着かない感は否めない。

 

寝床を確保したら、まずカフェタイム。テラスでアップルパイを食べた。

ここのテラスは噴火の時には下の五ノ池に落っこちたという。今ではとても落ちる気がしなくて気分がいい場所だった。

 

では三ノ池一周の散策に出かけます。

花の季節も終わったけれど、チシマギキョウがきれいに咲いていた。

 

三と四の境界尾根を少し下っていく。深い藍色の湖面を、御嶽行者はどんな想いで見つめたのだろうか。

霧に磨かれた鏡のようである。

 

下りながら左手を見ると、四ノ池と継子二峰が、別の表情を見せていた。

四ノ池は湖水がないように見える。光っている白い筋は水の流れだろうか。

再び三ノ池、角度が変わるたびに風景も激変してゆく。

 

行く手の南側には、山腹を大きくトラバースしている三ノ池道が見える。女人堂への最短コースだが、登山道崩壊のため通行止めとなっている。大昔ならばガレでも何でもよじ登ったであろう。

南側から湖畔に歩み寄っていった。

 

三ノ池には青帝龍王大権現が祀られている。龍王を表した石仏が、新しい台座の上に置かれていた。

 

この鳥居の先に古社が建っていた跡がある。三ノ池の水は御神水と崇められ、竹筒に入れて持ち帰られた。病人に飲ませると効果があったとされる。

恐山の宇曽利湖を見た時は、異界さながらで深い感銘を受けた。ここもある意味で似ている。

こちらは標高2700m、その高山性の中に人々は黄泉の国を見たのではないか。

 

これが龍神?

少し離れた岸辺には、覚明霊神などの像もあった。

三ノ池散策では、風景と信仰の融合を堪能した。

 

 

五の池小屋に戻ったら、小屋の裏手にある飛騨頂上へ行ってみた。

濁河温泉から飛騨小坂口登山道を登ってくると、ここが山頂ということになる。三度目の訪問になる。

雲に乗った不思議な石仏がある。

そしてやや風化しているが、摩利支天。足元のイノシシが全くそのように見えないのだった。

 

小屋に戻ったら、テラスのリクライニングチェアで一休み。ひんやりして気持ちいい。

 

少し時が経つと、小屋の裏手にライチョウ親子が登場した。石の間の何かを、いつまでもつついていた。

 

西の空が夕焼けになって、遠くに白山連峰のシルエットが浮かぶ。

今日一日も、これで終わりなのか。明日はまた俗世間へと帰っていかねばならない。

 

つづく