厳冬の戸隠連峰縦走単独行 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

「戸隠」というと牧歌的イメージが強くて、厳しい山を連想することが難しいのですが、
南面に連なる岩壁群や冬のナイフリッジを登攀の対象として考えると、非常に困難な山に変貌するのです。
初めてこの山に登ったのは1982年3月、新進気鋭のメンバー4人で本院岳ダイレクト尾根からP1尾根下降というルートで重量感のある雪稜・雪壁登攀でした。五日間もかかりました。
それから数年後に若手会員と秋のP5稜を登ってP1尾根を下り、翌々年に単独で未登のP6東壁にルート開拓をしてP1尾根を下った、という経歴になります。
 
それからだいぶ時代が下って私もそろそろ落ち着かなければならない歳になったので、力のあるうちに厳冬期の戸隠縦走をやっておこう、と思いついたのです。
戸隠連峰の核心部を通過するために登下降できる尾根は非常に限定されている、というか知られている限りにおいてはほとんど存在しません。
そこで選んだのが五地蔵山南東尾根と勝手知ったるP1尾根でした。
後者を下りに選んだのは気まぐれだったかもしれませんが、ここがまぎれもない核心部だったのです。
 
以下、写真と地図と記憶だけを頼りに綴ります。
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    戸隠牧場の朝  左から九頭龍山・一不動のコル・五地蔵山
 
【1997年3月20日】 快晴
戸隠牧場6:50~南東尾根~五地蔵山10:30-50~一不動小屋12:10-25~九頭龍山14:40-50~次のピーク15:05
 
前夜の内に戸隠牧場まで車で入って泊まった。
一夜明けたら快晴で、冬山とはいえパストラルな景色に心もなごむ。
見上げる戸隠の稜線はギザギザで拒絶的な表情だが、これから登る五地蔵山のほうだけはゆるやかなふつうの春山といった風情であった。
一不動への登山ルートに沿って進み大洞沢を渡ったところから五地蔵山南東尾根に取り付いた。
全ては雪に埋まっているから適当に尾根筋をひろいながらの登高となる。
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           五地蔵山の山肌
 
五地蔵山までの標高差は700mである。当然トレースは皆無であるからラッセルとなり頂上までは3時間半を要した。とりあえず何の問題もなかった。
稜線は東面が垂直にきれた岩壁で西面はやや緩傾斜となっている。西に寄ると安全ではあるが雪が深くてとてもまともには進めない。
雪庇ぎりぎりのラインをみきわめて前進するのが最善の方策である。
五地蔵山から大きく下っていくつかのコブを越えていくと一不動避難小屋に到着する。
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    五地蔵山より  北アルプスの白馬岳から鹿島槍まで見えていた。
 
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          九頭龍山東面を望む
 
さらに南下して九頭龍山をめざす。とにかくできる限り前進しておかないと先には不安要素がたくさんあるので気が気ではなかった。
ガスが湧いてくる中を雪とたわむれもがきながらたどっていく。
九頭龍山の次のピーク(1869mの手前)にてテントを設営することにした。
明日からは天気が下り坂のようである。しかしここから引き返すほど私には勇気がない。
いつもこうやって困難とある種の危険にはまっていくのである。
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           高妻山を望む
 
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           ガスの湧く高妻山
 
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           幕営地点より  明日たどる稜線を見る
 
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          見降ろす支稜にはキノコ雪がびっしり
 
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【3月21日】 晴れ後雪
出発6:10~戸隠山6:55-7:05~1719mコル8:02-15~本院岳直下のコル8:52-9:00~断崖上9:20-30~本院岳北峰11:40-50~本院岳12:20-30~西岳キレット下降点13:20-35~西岳キレット13:50~西岳14:22-35~P1直下15:20
 
今日もほぼ晴れた。一歩前に進むたびに退却が困難になることをひしひしと感じながら前進する。
相変わらずルート選定には神経を遣う。一歩間違えれば戸隠山の絶壁に呑みこまれてしまうのである。
ルートは複雑に蛇行するため景色もめまぐるしく変化していく。
戸隠山を越えて八方睨を過ぎると本院岳ダイレクト尾根を始めとした雪稜のバリエーションルート群が視界に飛び込んできた。
雪稜と岩壁のコントラストが圧倒的だった。
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    西岳(右)とP1尾根(左のスカイライン)
 
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           本院岳を振り返る
 
本院岳を過ぎると西岳キレットへの下降点となる。
この下降は50mあり、最初は雪壁で下半分は岩の出た凹角に鎖が垂れている。
登り返せば西岳の頂上である。
九頭龍からここまで8時間もかかった。夏ならコースタイムで3時間半のところだ。
山はガスに包まれ、雪まじりの様相となってきた。
西岳から南下してP1の直下にて幕営する。これでもう明日はなにがあってもP1尾根を下るしかないのである。
それ以外にこの隔絶された雪の城塞から帰るすべはない。
 
【3月22日】 雪
出発6:05~上楠川14:05
 
視界の悪い中を出発した。P1尾根は南東方向に延びているので、下り始めは雪庇を乗り越すようにしなければならない。
しかし南側から回り込むようにすると問題はなかった。
これより先はホワイトアウトの状況で一寸先も白い世界であった。
目標物が見えない、尾根筋がわからない。
なんとか尾根筋に取り付いて下って行くと樹林もまじるようになるが方向は定まらなかった。
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    ガスに包まれる本院岳ダイレクト尾根
 
急な雪稜をバックステップで下っていった。足元の雪が崩れて体ごと落ちていきそうだった。
谷川岳の西黒尾根のほうがまだましかもしれない。こちらのほうが傾斜がきつい。
とにかく落ちないように全神経を集中させて一歩一歩不確実な歩みを続けていった。
キノコ雪を下らねばならない箇所もあった。アプザイレンとなる。
下ったはいいが間違っていたらどうしよう、と大きな不安に包まれた。しかし悩んでいても解決の糸口は見つからず、雪を切り崩しながらアプザイレンし、さらに下っていく。
 
やがて蟻の戸渡りとなる。おそろしいほどのナイフリッジである。
両側がすっぱりと切れ落ちていて、キノコ雪の上を歩いているような感じだ。
問題はその先のスノーピークへの登り返し。ここの小凹角は体が振られてとても厳しくて、困った。
もう戻れないんだ、ということをもう一度認識し直さなければならなかった。
今度はザックを置いてトライする。うまくいった。ピークにバイルを埋めてアンカーにして登り返しを行なった。
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             蟻の戸渡りをゆく
 
これより先は広い雪壁となり、再び進路には不安を感じるのであるが、見覚えのある両側の壁を頼りに下降を続けた。
雪壁・ルンゼ・雪壁と続き、断崖をアプザイレンする。いよいよ「熊の遊び場」だ。
正しいルートを確信できただけでも気が楽になった。最後の急雪壁となる。もう下のコルも見えてきた。
バックステップでもズボズボもぐってめんどくさいので、ブッシュを掘り出して支点を作りながらアプザイレンを何度か繰り返した。
振り仰ぐと岩壁がそそり立っていたがもう威圧感はなく、私を祝福しているかとさえ思えたのである。
 
コルからは完全な樹林の尾根となった。ここに1パーティがいて登ろうとしていたので、トレースがあった。
あとは上楠川までただ足を前に出すだけの世界だった。
冬の戸隠連峰縦走とP1尾根の下降は「厳しい」という一語では片づけられないほどの重圧で私を苦しめた。
谷底に落ちていくかもしれない、、、という一歩を何度繰り返したことだろうか・・・