大タテガビン南東壁への挑戦 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

トロリーバスを黒部ダム駅で降りて、登山者用のトンネルを出た時に目の前に広がる風景が好きだった。
大タテガビンと丸山東壁が眼前に飛び込んでくる、あの景色である。
いつも登攀意欲を大いに掻き立てられ、情熱が炎のように燃え上がるのだった。
1984年の大タテガビン南東壁の記録です。

 

圧倒的な大タテガビン南東壁を見上げる。

 
【5月3日】  パートナー:kaneko
扇沢手前ゲート5:40~関電トンネル入口7:30~トンネル出口9:05~南東壁大洞穴14:00
 
南東壁岳人第二ルートへのアタックは昨年の秋に続いて二度目である。
前回は、踊り場から上部のルートを見いだせず、どしゃ降りの雨の中をアプザイレンを繰り返したのがとても印象的だった。このビッグルートを今回は何としても登りきりたかった。
関電トンネルを歩いてくぐり、豊富な雪渓の上を歩いて南東壁沢をつめ、基部の大洞穴に入る。小雨が降っていて、壁のイメージと相まって気合いが入らず、大洞穴にツェルトを張ってひたすら眠った。
 
【5月4日】  大タテガビン南東壁岳人第二ルートから第一ルートへ
取付8:00~BP17:35
1ピッチ目の登攀を見下ろす。
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1P目、kanekoトップで取り付いた。二人ともコフラックをはいて登った。
2P目、一部ベルグラの張ったスラブからガラガラのバンドを右へトラバースして人工でハングを越える。
バンドのトラバース中に足元の砕石が大量に崩れ落ち、下にたまっていたザイルに当たって、一本は芯が出てしまった。以後30mピッチで登ることになり、第二ルートはあきらめて第一ルートを登ることにした。

 

2ピッチ目 最初のハングをゆく

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不安定な支点で慎重に高度をかせぐイメージ 8
 
3P目、下部破砕帯を左へトラバース。昨年よりも難しかったということで二人の意見が一致した。
白い帯状部分がすべて破砕帯である。
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4P目、ランペを右上してレッジへ。
5P目、kanekoは空身になって直上ルートを登る。途中でボルトを一本埋めた。
ハングを越えるピンが非常に遠く、アクロバチックな動作を強いられた。
7P目、濡れた草付凹角は非常に悪く、踊り場までは中央バンドを使うことにした。
8・9P目はトラバース。10P目で鵬翔ルートのブッシュ帯に入ってビバークとした。
 
こんなふうに振り返りながら書いてみると何でもないように受け取られるが、とにかく大変で神経をすり減らす登攀だった。ビレーポイントを作るにしても普通に2本くらいのアンカーピンでは信頼できず、4本くらいを打って連結し荷重分散を図らなければならない。ずぼらな性格のクライマーではとても生きては帰れないだろう。

上を見上げて考える

 イメージ 10
           
【5月5日】  完登へ
BP7:50~終了15:45~南東壁の頭16:10~ダム下の堰堤20:35
 
通算11P目、踊り場の垂壁下でビレー。
12P目、垂壁を越え草付凹角から右上してスラブ帯へ。正規の第一ルートへは岩のもろさゆえ入れず、露草ルートを登る。13P目、細かい凹状をカギ形ハング下まで。
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カギ形ハング下のフェースを攀じる
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14P目、露草ルートを離れ、細かいスラブを左へトラバースする。非常に悪く、両手が離れないので途中で効かないクロモリを強引に叩きこんでザックをそこに吊るしてから、かぶったフェースを越えていった。
次のピッチも脆く難しいトラバースをして鵬翔ルートに合流した。
あとは岩とブッシュをぬって延々と登り、南東壁の頭に着いた。
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 中央ルンゼの頭にて 登攀終了だ!
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 これが南東壁だ。            
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合計23ピッチ。さらに中央ルンゼ奥壁を2ピッチ登って南尾根の一角に出た。南尾根の主稜に出るとトレースがあった。少し登ってから内蔵助側に下る。ルンゼを右往左往しながら下るうちに陽が暮れた。
丸山東壁の基部に、waku&seidouパーティが残したはずの我々のデポを探したが見つからず、うらみの言葉をはきながらさらに歩く。
食うメシもなく足も疲れ果て、黒四ダムの下の堰堤の堤の上に唯一の乾いたネグラを求めて眠りについた。

スラブ状ルンゼから見た南東壁全景

          終了!