日光例幣使街道は中山道倉賀野宿を起点にして、伊勢崎・太田・佐野・栃木・鹿沼を経て、下今市で日光街道に合流します。江戸時代に朝廷の使いが日光の大権現を毎年詣でるために通った道で、「ゆすり」が横行したことでも有名です。
中山道や日光街道を完走したのはもうだいぶ前のことですが、次はこの道をとずっと思っていて、やっとそれを実行する時がやってきたのです。
倉賀野追分の閻魔堂 右が中山道で左が例幣使街道
1月15日、スタートは高崎駅、寒波が来襲して厳しい寒さの朝だった。
なんといってもまず、この街道はフラットであり、峠越えがない。
その反面「赤城おろし」と呼ばれる空っ風が名物となっているくらいだから、冬の旅は楽ではない。
もっとも例幣使は4月に通ったのだから、桜も見ながらゆすっていったに違いない。
平らな道をただ走るだけではつまらないので、
道沿いの道祖神を観察したり、古寺を訪ねたりしながらゆくことにした。
古い道形はバイパスや工場に押しつぶされてほとんど残っていないが、
わずかに石造の道標が右か左かを教えてくれる。
玉村宿住吉神社の庚申塔群
住吉神社にて
倉賀野宿の追分に閻魔堂がある。ここで中山道と分かれて東へと進んでいく。
玉村町には史跡が多いので、歴史資料館で例幣使街道のMAPを入手して、これを見ながらきょろきょろしつつ走った。
ちょっと街道からそれたお寺には青面金剛や庚申塔がたくさんあり、造形的に興味深いものが多かった。
伊勢崎の昌雲寺の入り口にて
夕刻にはいっそう冷えて体も固まった。
境町宿にて泊まる。寄り道しながらなので、30Kmの予定が40Kmになってしまった。
朝日を浴びる境宿の道しるべ
木崎宿の色地蔵堂
太田市威光寺の如意輪観音
翌日は雪の予報に反して青空であった。しかし風がとても冷たい。
遠くには赤城山や武尊山が雪化粧して望まれた。見るからに寒そうだ!
昨日は利根川を渡り、今日は渡良瀬川を渡る。
大谷石の建築物 足利市にて
足利市郊外のバイパスは手持ちの地図とは全然違う方角へ延びていて、気付いた時にはずいぶん遠回りをさせられた。走り旅にもナビがないと不便な時代だ。
八木宿の街道沿いで バンザイするショケラ(青面金剛の右下にいる)
足利北部の山並み
梁田宿 渡良瀬川の渡しより 雪をいただく赤城山
佐野宿へ入る。
古い町並みはほとんど消失し、幾軒かの商店のファサードにわずかにその名残をとどめるのみだった。典型的な蔵造りの店の前で家内の足が止まった。そこでわらび餅と味噌プリンを買って帰ることにした。
今日も40Km、下今市の追分地蔵まであと半分である。
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