佐梨川金山沢奥壁第2スラブ~上部左フェース「アワーグラス」単独ルート開拓 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

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85年から86年にかけて私の人生におけるビッグスリー、3大単独ルート開拓の時代となります。
佐梨金山沢奥壁・黒部赤ムケの壁・戸隠P6東壁です。
消えることのないその足跡が、ささやかな誇りであるともいえるのです・・・

【1985年5月18~19日】 の記録 会報より

取付(7:45)~中央バンド(8:45)~BP(20:00)

 佐梨・・・私にとっては特別の響きを持った固有名詞である。自分に対する何の説明も不要な世界。今回も登って改めてこの山の素晴らしさを感じることができた。

 シュルントを越えて第二スラブに取付いた。取付で荷上げをしてスラブの中心を快適に登っていく。中間部のハングは右寄りからダイレクトに越えた。4級+くらいで、荷上げをする。
 一時間あまりで中央バンドに着き、少し休んだ。さらに100m程スラブを登って左フェースの基部に着いた。ここからはザックを置いてザイルを引いていく。

 1P目はビレーは取らない。草付のルンゼ状を左上して途中から右上して、前傾壁下のブッシュバンドまで登る。
 2P目はブッシュバンドを右上して微妙な登攀でボルトの1本あるレッジまで。
 3P目、左上して左のカンテを登るが非常に悪い。さらに直上するのは頼りないブッシュに邪魔され不可能と判断し、右の草付レッジへアイスハンマーを打ち込んではい上がった。当初めざしていたYCクラフトルートは3P目の途中で左へトラバースしていくようだが、ほとんどブッシュで判然としない。登っている間はブヨのような虫が顔の回りを千匹くらい飛び回り、目や耳に入ってあばれたりホールドをつかむ手に群がったりして不愉快きわまりない。また、登りながら頭の上から苔や泥をかぶるのでたまらない。
 4P目はいろんな方向に直上を試みるがダメで、ボルトを打とうとしても岩がボロボロと剥離してしまい、いやになる。敗退の味気なさはいやというほど味わっている。何とかして登りたかった。右のほうを見るとルンゼ状で登りやすそうなので、15m懸垂して10mブッシュを右上するとボルトが2本打ってあり捨て縄がかけてあった。YCクラフトの記録によると最初ここまで来て引き返し、左へルートをとったらしい。なるほど見上げるルンゼは陰湿な大ジェードルとなり、最上部は大ハングにふさがれて逃げ道はないように思える。登れるかどうか見当もつかないまま大ジェードルをオポジションで登っていった。ハングの下に薄い岩の突起がありビレーの支点に使う。
 実質5P目、バックアンドフットで庇の下まで登り、そこから右のランペにハーケンを打ってアブミをかける。5級のフリーを交えながらハーケンを3本連打。さらに木の根に2回アブミをかけて庇の右端まで登るが、まだフリーでは登れない。前傾壁を左上ぎみにボルト4本連打して、ハング真上の浮いた草付を5級のトラバースをしてレッジに着く。ボルトとアングルを打ってビレー。懸垂はサブザイルを使ってダイレクトに降りる。ランニングをたくさんとったので、ユマーリングは全く楽だった。しかしすでに夕闇が迫りつつあった。
 そこからはほとんどブッシュ帯だが傾斜が非常にきついのでやはり登り返しとなる。8P目で完全に真っ暗となりヘッドランプで登る。自分の動作が他人に命令されているようで、特殊な心理状態だった。急な露岩が出てきて、いろいろといやな気もしたので露岩の下の窪みでビバークすることにした。街の灯が遠くに見えた。パックのジュースを飲んで菓子をかじり、夜半にポリタン最後の200ccの水を飲んだらもう水はなし。雨具を着ただけでうつらうつらと眠った。

 3時頃から目覚め、変わりゆく空の色を見続ける。4時半に登攀を再開。ザイルをつけて30mほどで郡界尾根のフミアトにとび出した。終わった! だが、自分の求めた以上のものが案外あっさりと得られてしまったせいか、仕事途中のようなけじめのつかない気持ちであった。少し行ったコルからオツルミズ沢の雪渓に下りて10分ほど登ると待ちに待った水が左岸の雪渓の切れ目に流れていた。ポリタンにくんで、じっと見つめてから一気に飲んだ。そのうまさは丸山東壁登攀後の内蔵助谷の水とともに本邦双璧をなすであろう。
 とにかくあのような悪絶な壁より高いところにこんなパラダイスがあるというのはおとぎ話のようだ。おとぎの国のステアウェイを登りつめると、いっそう静かな駒ノ小屋である。広場の端っこでオヤジがいつものようにうずくまり、小倉尾根のほうへじっと双眼鏡を傾けていた。