昨日ファミリーマートについて書いたので、
僕とコンビニの関係について、
どう言えばいいか考えてみた。
「コンビニは僕とは違う世界の住人が、
買い物をするところ。
僕はたまにコソッとお邪魔している。」
そんな感じだろうか。
僕が20歳になって上京するまで、
僕の生まれ育った広島の田舎町に、
コンビニは存在しなかった。
20歳になって、というのは、
あらためて書くと、
僕は2浪して大学に受かったからだ。
スーパーは僕が小学3、4年のときに、
自宅から自転車で10分くらいのところに、
初めて出来た。
駐車場なんてない、
店の前に自転車が10数台、
停められるスペースがあるだけの、
いまではあり得ないスタイル。
近所の食料品店で、
なんだかんだ買いそろえていた母親も、
ときどきそちらに足を運ぶようになった。
開店したてのころ、
「野菜が新鮮じゃけぇええわ」
と母親が言っていたのを覚えている。
上京して移り住んだのは、
東武伊勢崎線・谷塚駅の近く。
周辺にはやはりコンビニはなかった。
スーパーも。
なのでたまに北千住の、
今はなきダイエーで食料を調達した。
そこなら定期券があるので、
切符を買わなくてよかった。
今のようなレジ袋はなかったから、
大きな紙袋をかかえて、
帰りの電車に20分揺られた。
次に住んだ横浜の菊名にも、
コンビニはなかった。
スーパーは駅の改札口の向かいに、
東急ストアがあった。
僕が引っ越す前からあったのか、
越してから出来たのか、
そこははっきりしない。
結局、僕がちょくちょくコンビニに、
出入りするようになったのは、
30代半ばに離婚して、
田園都市線のたまプラーザに転居してからだ。
駅前にファミリーマートかセブンイレブンか、
忘れてしまったけど1軒あって、
やはり駅前にあったイトーヨーカドーで、
必要なものはすべて買えたのに、
なぜかそちらにも立ち寄るようになったのだ。
何が目的だったのかは記憶にない。
生涯とおして、
僕がおもにコンビニで買ったのは、
「酒」と「酒のつまみ」と「週刊誌」だ。
なのでそちらでも、
それらだったのかも知れない。
コンビニで頻繁に買い物をしたのは、
胃がん除去手術のあとの、
抗がん剤治療の副作用で、
味覚障害の症状が出たときだ。
ほとんどのものがニガくて、
とても飲み込むどころじゃなくて、
ツラい日々が続いたけど、
セブンイレブンのプリンとメロンパンと、
それから確か「すイカ」という名前の、
酸っぱいイカが普通に食べられたので、
たびたび買いに行っていたのだ。
他に果物やいなり寿司なども平気だったけど、
そちらはスーパーで購入した。
スーパーに関しては、
僕とは違う世界の商業施設、
という感覚はない。
身近な存在になるのは遅かったけど、
よく買い物するようになったので、
違和感がなくなったのだと思う。
コンビニだけでなく、
おなじく「あとからやって来た」、
ホームセンターやドラッグストアや、
ショッピングモールなどは、
いまも自分は部外者で、
お邪魔させてもらっている、
という感覚が消えない。
僕とおなじ世代の、
おなじ田舎育ちの人間が、
おなじように感じているかどうかわからないけど、
とにかく僕はそうなのだ。
商業施設だけでなく、
肌に馴染まないものは他にもたくさんある。
人間嫌いなのがいちばんの理由だけど、
僕はずっと疎外された状態で生きてきた。
そして社会から完全に締め出されて、
いまは引きこもり生活。
ま、しかし、そんなことはどうでもいい。
後ろを向いてはいけない。
つまらない分析をしてもしょうがない。
いま自分が必要とすることを、
粛々と勉強すればいいのだ。