今日もまずは「あかでみっくなカレッジ」から。
今日も何本か観た。
勉強になったのは「コモアしおつ」篇。
「コモアしおつ」はバブル期に開発された、
山梨県上野原市のニュータウン。
僕はずいぶん前から知っていた。
といっても四方津(しおつ)駅前から、
長いエスカレーターが丘の上まで延びていて、
その丘に分譲地がある。
知識はそれだけ。
10年くらい前、河口湖に行くときに、
電車の中からそのエスカレーターを見た。
そのとき丘の上がどうなっているのか、
知りたいと思った。
しかし河口湖からの帰りは、
新宿行きの高速バスに乗ったこともあってか、
その思いはその時かぎりのものに。
中央道からはエスカレーターは見えないのだ。
動画を観て意外だったのは、
分譲地がやたら広いこと。
スーパーも病院も小学校もある。
Wikipediaによれば、
2015年の段階で約1,200世帯、
約3,500名の人が住んでいる。
しかし考えてみれば広くて当たりまえだ。
あんな豪華なエスカレーターをつくるのだから、
分譲地がショボいはずがない。
新宿まで電車で70分。
辺鄙すぎないのも良い。
もちろん閑静だし空気はきれいだし、
何でも揃っているので、
いちいち「下界」に降りなくていいし、
高齢者も住みやすい。
「コモアしおつ」は長所が多い。
僕は一戸建てより、
アパート・マンションのほうが好きなので、
そこだけでなくどの分譲地にも、
住みたいとは思わないけど。
『際限のない詩魂 わが出会いの詩人たち』
(吉本隆明/思潮社・詩の森文庫/2005)
を読み終えた。
今日読んだページには、
とくに触れたいことはなかった。
吉本隆明の文章について言うと、
僕は相性が悪い。
読むたびに違和感を覚える。
それはたとえば、
「自分」や「思う」を、
「じぶん」「おもう」と、
彼が書くからだ。
なぜかひらがなの多い文章においても。
ひらがなが多くても、
漢字が多くても読みづらいので、
普通はどちらかに片寄らないようにする。
僕もそうしているつもり。
彼のひらがなをやたら優先した文章に、
付きあうのが僕はツラいのだ。
ツラいけど次も付きあう。
前にも書いたように、
『定本 言語にとって美とはなにか』
(吉本隆明/角川選書/1990)
にいよいよ挑戦だ。
1、2巻合わせて約670ページ。
いくら時間がかかっても構わない。
年越しも充分にあり得る。
とにかく食い下がって、
学べるだけ学ぶつもり。
『サミング・アップ』(行方昭夫訳)
であとひとつ触れたいことがあった。
〈自分の生涯を振り返って、成功、失敗、無数の間違い、
欺瞞、充実、喜び、悲惨などを思い浮かべるのだが、
何だか妙に現実感を欠いているような気がする〉
この感覚は僕もよくわかる。
僕も何度もあった「強烈な」と言える体験でも、
なぜか夢の中の出来事のような気がするのだ。
過去の何もかもが幻のよう。
「リアル」は今ここにしかない。
もう何年も前から、
そういう感覚になっている。
『バーナード・ショー』(中村保男訳)
からもひとつ。
〈正気で、理不尽なところがないという点で
「狂って」いて、全く正常であるという点に
異常さがある人物〉
こちらは、そのような人物が、
バーナード・ショーの作品によく出てくる、
という話なのだけど、
その手の人たちって、
どのくらいの割合でいるのだろう。
僕は彼女/彼らの内面が想像もつかない。