むつ市。

 

 

 

撮影日は2002/8/1。

宿泊したホテルの部屋から、

街の夕景を撮った。

 

手前の川は「田名部川」。

左に流れて陸奥湾の一角、

「大湊湾」にそそぐ。

 

この写真を貼ったのは、

先週末、カープ2軍チームが、

弘前まで遠征して、

試合を行なったからだ。

 

最初から説明しよう。

2002年の夏前に僕は車を買った。

トヨタ・ヴィッツ。

新車で色はピンク。

 

最初の提示額に難色を示すと、

コミコミで120万円ちょうどにしてくれた。

好意を受けて商談成立。

 

やがて夏休みになると、

新車で1人旅をしたくなった。

 

目的地はすぐに決まる。

北の岬。

 

下北半島の「尻屋崎」と「大間崎」。

そして津軽半島の「竜飛崎」。

 

いずれも観光地化されているはず。

なのでしびれるような、

「最果て感」なんて味わえそうもないけど、

1度行ってみたかったし、

チャンスは今しかないと思った。

 

で、1日目、盛岡泊。

2日目は尻屋崎、大間崎とまわって、

むつに泊まった。

上の写真はそのときのもの。

 

そして3日目は竜飛崎に行って、

当時は未踏の地だった北海道を初めて望み、

引き返して青森泊。

 

4日目は千葉まで一気に車を走らせて、

帰宅する予定だった。

しかし一気というのも面白くない。

そこでどこか1箇所だけ、

立ち寄って帰ることにした。

 

千葉は遠い。

あちこち経由できない。

 

候補に絞られたのは十和田湖と弘前。

ここで弘前が登場する。

 

ところが僕は弘前を選ばなかった。

十和田湖には高村光太郎の彫刻がある。

その彫刻が設置されている、

湖畔に立ってみたいと思ったのだ。

 

ホテルを出てしばらくは何も問題なかった。

黒石あたりまで、

平野を走っているときは天気も良く、

快適なドライブだった。

 

しかし高速を降りて山間部に入ると、

とたんに雲行きが怪しくなった。

そして雨が降り出し、

十和田湖が近くなると本降りに。

湖畔に立つどころの状況じゃない。

 

仕方なく僕は、十和田湖のわきを、

走り抜けただけで東北道に戻り、

帰途についた。

 

そのとき弘前に行っていたら、

どういうことになっていたのだろう。

弘前という名前を聞くたびに、

僕はそう思うのだ。

 

もちろん、ただ弘前城を眺めただけ、

という可能性がいちばん高い。

しかしその可能性がすべてではない。

 

極端な話、事故に遭って、

命を落としていたかも知れない。

あるいは何かその後の人生を決定づけるような、

すごく良いことがあったかも知れない。

 

人生の岐路はいくらでもある。

いちいち自分が選ばなかった世界線を、

気にしてもしょうがない。

 

しかしそのときの岐路は、

僕にとっては特別。

 

ま、そう言うと大げさかも知れないけど、

せっかく青森まで行ったのに、

十和田湖を選んで「大失敗」だったので、

いまだに弘前と聞くと、

そのときのことが思い出されるのだ。

 

 

今日は歯医者に行った。

暑い中、2日続きのお出かけ。

 

治療は今日だけで完了した。

とくに書くことはない。

 

帰りにスーパーに立ち寄った。

果物が高くて買えなかった。

他に書くことはない。

 

帰宅が遅くなり本が読めなかった。

何もインプットできなかったので、

やはり書くことはない。