鳥羽水族館のラッコの水槽を、
天井から24時間映しっぱなしのライブ映像を、
相変わらず毎日観ている。
1日数回、ごく短時間だけど、
メイちゃんキラちゃんには癒される。
寝る前には、
とっくにお休み中の彼女たちに、
今日もお疲れさま、
と言うのを習慣にしている。
そうしないといられないほど、
彼女たちは毎日、
安らぎをもたらしてくれている。
それはいいのだけど、
問題がひとつある。
いつも水槽の床が糞で汚れていて、
恐ろしくキタナイのだ。
夕方、観てみると、
飼育員の人が掃除をしている。
掃除は2週間ぶりくらいだろうか。
床はあっという間に綺麗になっていった。
大変な作業という印象はない。
期間をもっと短縮できないものかと思う。
床を観ないわけにいかないし、
観れば気持ち悪くなる。
それに彼女たちにしても、
表向きは水槽だけど、
実際は糞だらけの、
巨大な便器の中で泳ぎたくはないはず。
長野智子さんにインタビューした、
「週刊女性PRIME」の記事を読んだ。
長野さんの名前をひさしぶりに聞いたけど、
それはさておき、
彼女の〈信念を持って取り組みたい活動〉は、
〈女性国会議員を増やす活動〉とのこと。
具体的にどういう活動をするのかわからないけど、
女性議員は当然増やすべき。
言ってしまえば、
いま目につく女性の国会議員や知事などは、
男性社会でノシ上がった人なので、
たいていどこか「歪んでいる」。
そうじゃない多くの「真っ当な」女性に、
政界進出してほしいと思うのだ。
ひとつ腑に落ちないことが書いてあった。
長野さんのお母さんのことだ。
お母さんは数年前、92歳のときに、
老衰で亡くなったとのことだけど、
〈絶対に病院で死にたくない〉
〈延命治療はしないでほしい〉
とつねづね言っていたそうなのだ。
それはわかる。
しかし〈人に頼りたくない性格〉なので、
〈絶対に病院で死にたくない〉
というのはわからない。
病院で最期を迎えなくても、
亡くなれば墓に入るまで、
いろんな人にお世話になる。
それは平気ということだろうか。
長野さんらしい、
筋の通る説明をしてほしいのだけど。
『詩とはなにか』から。
〈〈わたしに残された未踏!〉という思いは
静かな緊迫した時間のうちに、わたしの〈書く世界〉を、
ときとして訪れることは確かである〉
毎日ブログを書いていると、
自分の実力というか、
「領土」が自覚されていく。
そしてその領土を押しひろげ、
〈未踏〉の地に少しでも足を踏み入れたい、
という願いもしだいに強くなる。
その願いは、
「新しい風景を見たい」
という表現で何度も書いてきたけど、
ブロガーとして日々を送る以上、
その「煩悩」が消えることはない。
本当は煩悩を断ち切った、
超然とした生活をしたい。
しかしサッカーやら野球やら、
他にも煩悩はたくさんある。
そんな仙人的生活はとても無理そう。
ところが、いま広辞苑(第6版)を引いてみると、
「煩悩即菩提」
という言葉があって、
〈相反する煩悩と菩提(悟り)とが、究極においては
1つであること。煩悩と菩提の二元対立的な
考えを超越すること。大乗仏教で説く。〉
と説明されている。
「煩悩即菩提」という未踏の地が、
いま僕にはひどく輝いて見える。