『詩とはなにか』の中に、

次のような一文がある。

 

〈日本の現代詩で、言語理論のうえでいう

 「音韻」の効果を詩表現に追求したのは、

 「荒地」の詩人加島祥造ひとりではあるまいか〉

 

内容はさておき、

加島祥造(1923〜2015)のことを、

まったく知らなかったので、

ちょっとだけ調べてみた。

 

面白い人だ。

東京出身で早大の英文科を出たあと、

フルブライト留学生として、

カリフォルニアの大学に学び、

帰国してからは、

横国大、青山女子短大などで英米文学を教えた。

 

そして、詩人、学者、翻訳家、随筆家、

タオイスト、墨彩画家として活躍。

晩年は伊那谷にひとり暮らした。

 

とくにアメリカ留学までしたのに、

英米一辺倒でなく、

中国にも深い関心があるのが異色。

 

「墨彩画家」という説明が気になったので、

作品を検索してみた。

 

評価できない。

 

おもむきのある絵が描ける、

センスの良い人だけど、

中濃度の色を、

上手く扱えないのが欠点。

 

つまり薄い色と濃い色のふた通りの表現しかなく、

両者が噛みあってない絵がほとんど。

 

もちろんそのふた通りでも、

良い絵にすることはできるけど、

両者をつなぐ色があったほうが、

絵として成立させやすいし、

彼の持ち味を活かすなら、

そのほうがいいように思うのだ。

 

ま、50代になって絵を始めたようなので、

仕方ないかも知れない。

 

しかし優秀な頭脳の持ち主だし、

他のこととおなじように、

絵もしっかり勉強してほしかった。

 

 

『サミング・アップ』(行方昭夫訳)に、

43歳のモームが、

肺結核の療養のために、

北スコットランドのサナトリウムで、

過ごしたときの感想がしるされている。

 

〈楽しかった。ベッドに寝ているのがどんなに快適か、

 生まれて初めて知った。1日中ベッドにいても、

 どれほど多種多様な生活が送れるか、どれほど

 やるべきことがあるか、驚くほどだった〉

 

よくわかる。

症状が重くなければ、

入院生活ほど快適なものはない。

 

食事の心配はいらないし、

24時間、好きなことができる。

 

僕は胃がんを手術したときも、

肝臓がんのときも、

読書に明け暮れ、

疲れるとスマホでYouTubeを観た。

 

〈無限の宇宙が窓から入って来て、

 私の心は星と2人で

 どんな冒険でも出来そうに感じていた〉

 

そこまで薔薇色の気分になったことはないけど、

僕も〈病室を去るときは残念な気さえした〉ものだ。

 

 

書棚を眺めていると、

山田風太郎の、

『人間臨終図巻(1〜4)』(徳間文庫/2011)

をひさしぶりに開いてみたくなった。

 

いまの僕とおなじ年齢、

72歳で亡くなった人たちは、

第3巻で採り上げられている。

 

いちばん昔の人は孔子(前551〜前479)。

 

〈自分は殷人の子孫だが、殷では死ぬと応接間の

 二本柱のあいだに置かれて祭られたが、

 昨夜わしがそうやって祭られた夢を見た。

 死ぬ日が近づいたらしい〉

 

こちらは死の床に就いた孔子が、

弟子に向かって言った言葉、

と伝えられているけど、

〈作り話らしい〉と山田風太郎は述べている。

 

それはそれとして、

そういう「死の前兆」があってほしいものだと、

最近、強く願っている。

 

前兆を感じることができれば、

誰にも迷惑がかからないようにして死にたい。

 

自室で腐乱死体になって、

不動産屋の社長さんらに片付けてもらう。

その「最悪の事態」は、

何としても避けたいと思うのだ。

 

あと、ユトリロ(1883〜1955)の人生も、

凄まじすぎる!

とあらためて思ったけど、

長くなったので、

それについてはまたの機会としよう。