部屋の契約更新をしに、

不動産屋に行ってきた。

 

有り難いのは、

大家さんも不動産屋の社長さんも、

僕のフトコロ具合がキビシイことを、

よくわかってくれていて、

今回も部屋代を据え置きにしてくれたこと。

 

2014年に越してきて、

今回で5度目の更新だけど、

ずっと据え置き。

 

驚いたのは、

その不動産屋が部屋を世話している人たちのうち、

去年6人が自室で亡くなったこと。

いずれも独居老人。

もちろんすぐに発見されることはなく、

遺体はヤバい状態に。

 

社長さんの話を聴いていて、

僕も同種の人間だし、

そうなる可能性は高い。

そうなれば社長さんはじめ、

多くの人に大きな迷惑をかけることになる。

 

やっぱりそれは嫌だな、

と思ったけど、

異変が起きたとき、

そのことを時間をおかずに、

誰かに知ってもらうのは、

いまの状況だと不可能に近い。

 

 

帰宅して『リルケ 人と思想161』の、

残りページを一気に読んだ。

 

今日も納得のいかない表現が、

いくつもあったけど、

とにかくこれで、著者が、

素直に、平易に、簡潔に書こうとする、

姿勢を欠いているので、

違和感を感じることの多い、

この本から逃れられる。

やれやれだ。

 

次は、

『薔薇の沈黙ーリルケ論の試みー』

 (辻邦生/筑摩書房/2000)

を再読する。

 

前回読んだのは2003年。

傍線をいっぱい引いてあるけど、

もちろん内容はすっかり忘れてしまっている。

 

いずれにしても、

リルケをより深く知り、

リルケの詩を読み込むことによって、

リルケのだけでなく、

詩という芸術全体を学び直す。

 

いまのところ、その方針に変わりはない。

 

辻邦生(1925〜99)も、

僕の父親世代の人なので、

とうぜん文章は古臭いし、

こないだまで読んでいた本では、

「かかる〜」

「〜のごとき」

という2つの表現に閉口して、

その本を読むのをやめてしまったけど、

今回は何が何でも読みとおすつもり。

 

 

レジーナはアウェイの新潟戦。

2-0で勝利。

 

ハイライトを観た。

どちらの得点も、

相手選手のゴール近くでの、

中途半端なプレーから生まれている。

 

よほど足技に長けた選手でない限り、

ボックス付近の危ないボールは、

素早く大きく蹴り出す。

当然それしかないわけだけど、

それができない選手がしばしば現れる。

そして失点しチームは勝利を逃す。

 

要は「学生サッカー」というか、

「草サッカー」をすること。

もちろんどの場面においても、

というわけではないけど、

プロ選手になって、

カタチ的には草サッカーを卒業したので、

プロらしいプレーをしようとする。

それが大きな間違い。

 

その意味で2点目の、

李誠雅(り・そんあ)選手の、

ボールをお腹でゴールに押し込んだ、

あのプレーはよかった。

 

カッコつけて、

足で処理しようとしていたら、

得点は生まれなかったはず。

 

 

しかし早いものだ。

2023〜2024シーズンも、

あと1試合で終わり。

 

終わるとレジーナから旅立つ選手も出てくる。

さびしい季節になった。