昨日は「立夏」。

 

それは関係ないけど、

暑くなってきたので冬用の寝袋から、

夏用に切り換えた。

 

といっても、狭い袋の中に入る気がしないので、

夏用の2つの寝袋のファスナーを全開にし、

重ねて掛け布団とした。

下は普通の敷布団をこちらも2枚重ね。

快適!

 

いまの時期は昼間も過ごしやすいし、

窓から見える新緑の木立ちも麗しいし、

もう、ほんと、言うことない。

 

 

詩の勉強をしないといけないんだよなぁ、

と思いつつ書棚を眺めていると、

2冊の本が目に留まった。

 

『際限のない詩魂 わが出会いの詩人たち』

 (吉本隆明/思潮社/2005)

『詩とはなにか 世界を凍らせる言葉』

 (同/同/2006)

 

2冊とも一読している。

ひさしぶりに開いてみた。

 

前者に石川啄木にまつわる小論がある。

 

〈生活人の水平線に完全にはまることによって

 詩のうしろにそうように視えてくる何かが

 察知されるといった類いの作品〉

 

〈そう〉は漢字で書いてほしいけど、

それはさておき、

その小論が発表されたのは1961年。

吉本隆明はその時点で読むに耐える啄木の詩は、

そういった作品だけになったと言っている。

 

そしてその例として3つの短歌を挙げている。

1つだけ孫引きする。

 

〈こみ合へる電車の隅に

 ちぢこまる

 ゆふべゆふべの我のいとしさ〉

 

吉本さんの考えは何となくならわかる。

しかしそれだと意味はない。

深く理解するためには、

その考えを頭に置いて、

もう1度啄木の数多くの短歌を読んでみるしかない。

1度で理解がすすまないなら2度、3度。

 

そうするしかないんだよなぁ、

と思いつつ本を閉じた。

 

 

僕の最も好きな文学作品は、

何度も書いてきたけど、

啄木の次の短歌。

 

〈不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて

 空に吸はれし

 十五の心〉

 

吉本さん的には、

生活の匂いがしないので、

とうぜん値打ちのない作品。

 

この作品に限っては、

僕の評価が吉本さんの考えに、

影響されることはないはずだけど、

とにかく啄木作品をもう1度熟読するしかない、

という気持ちになった。

こないだ書いた、リルケ、伊東静雄と合わせて。

 

ちなみに僕は高校生のとき、

1冊の啄木の作品集を愛読していた。

 

『現代教養文庫307 啄木のうた』

 (石川正雄編/社会思想社/1961)

 

もうすっかりセピア色。

 

 

サンフレッチェは2-3で名古屋に敗れる。

今季、初黒星。

 

僕の大胆な予想は外れた。

こないだの新潟戦で、

最後の最後に追いつかれて、

勝点2を逃すという「地獄」を見た。

 

行くところまで行ったので、

上昇気流に乗るのではと思ったけど、

地獄はどうやらまだ続いているようだ。

 

チームの柱的存在の、

大橋祐紀、川村拓夢両選手の怪我が治らないと、

さらに続くかも知れない。

いや、続くと予想しておこう。

 

 

レジーナは1-0で相模原に勝利。

 

このところスタメンで出ることがなくなり、

窓際的存在になりつつあった、

高橋美夕紀選手がヘディングでゴールを決めた。

 

これを切っ掛けに、

ワントップのポジションを取り戻してほしいけど、

彼女は今年31歳になる。

むずかしい年齢になってきている。