昭和の森。

 

 

撮影は2019/05/04。

その5日後に入院、

翌10日、胃癌の切除手術をした。

 

その日、直径10センチの癌を抱えていたけど、

最寄り駅との徒歩での往復だけでなく、

公園内を歩きまわる体力は充分にあった。

 

なぜその公園に行ったのかは覚えていない。

手術しても助からないのでは、

と思い込んでいたので、

鯉のぼりを見納めに行ったのかも知れない。

 

その思い込みがあったのは、

すでに胃からリンパ節への、

転移が明らかになっていて、

お腹を開いてみないとわからないけど、

肝臓やら膵臓やら脾臓やら、

いろんな臓器に転移している可能性があり、

その場合は大手術になる、

と先生に言われていたからだ。

 

僕は生へのこだわりはまったくなかった。

長いこと生きたし、

何かしたいことがあるわけでもなかったし、

家族もいないし、

その先も生きたいという願望はなかった。

 

手術してみると、

リンパ節以外への転移はなかった。

僕はその運命をしっかりと受けとめた。

 

 

僕の故郷の町は、

紙製の鯉のぼりの産地だった。

 

県境の川の豊富な水を利用しての、

和紙の生産が昔から盛んで、

化繊製のものが出まわるようになるまで、

鯉のぼりを作る家内工場がいくつもあった。

 

近所の資産家は、

鯉のぼりは作ってなかったけど、

屋敷の広い庭の一角に、

紙をすく設備のある小屋を建てていて、

僕は子供の頃、しばしばその小屋に赴き、

知り合いの女性たちによる、

作業風景を眺めたものだ。

 

単調な作業だけど、

濁った水槽から1枚また1枚と、

和紙が魔法のように「出現」するサマに、

魅了されたからだろうか、

見飽きることがなかった。

 

僕の家は鯉のぼりを玄関先に立てるだけの、

経済的余裕はなかった。

なので和紙はともかく鯉のぼりは、

僕の心に深く染みついてはいない。

 

そんな僕がなぜその「死が差しせまった」日、

わざわざ鯉のぼりを見に行ったのか、

本当に不思議。

ま、おそらく、理由なんかなくて、

ふと思い立っての衝動的行動だと思うけど。

 

鯉のぼりを見て、

癌にまつわるもろもろを、

連想することはないけど、

今日も食べた「種なしブドウ」は、

見るたびに抗がん剤の副作用で味覚障害になった、

苦しい日々のことを思い出す。

 

たくさんのものが食べられなくなったけど、

果物はどれも平気だったので、

毎日、主食的役割を果たしていたし、

なかでも種なしブドウは、

冷蔵庫から姿を消すことがなかったほど、

頻繁に食べていたから。

 

いずれにしても、癌と向きあっていた頃のことは、

よく思い出すけど、

非日常的すぎる体験だったからか、

あるいはどんな強烈な体験も、

たちまち風化してしまうということだろうか、

いまの僕には自分が体験したという実感がない。

 

 

今日読んだ『散歩哲学』の中に、

〈老人は怨嗟ばかりを溜めていないで・・・〉

という文章が出てきた。

 

〈怨嗟〉の意味を広辞苑(第6版)で確認しておこう。

〈うらみなげくこと〉

それが全文。

 

僕は老人だけど他の老人のことは知らない。

島田雅彦さんがそのように書くということは、

実際にそういう老人が多いのだろう。

意外な現実を知った。

 

信じられない!

年老いて怨嗟を溜め込むなんてバカげた話。

 

僕のように、

表現することを最優先する生活にすれば、

そんなくだらないものは、

吹き飛んでしまうと思うけど、

溜め込むような哀れなことをする人たちに、

言っても仕方ないのだろうか。