いま読んでいる池澤夏樹さんの本のあとに、

読む本をいちおう決めている。

 

しかしその本のことは、

ネットで情報を得ただけなので、

昨日、実物を見てみようと、

用事を終えて書店に立ち寄った。

 

ところが有名作家の新刊書なのに、

見当たらないのだ。

 

まいった。

 

スーパーにも立ち寄った。

最近、おいしいジャムを食べたい気分。

チャパティの半分にジャム、

半分にピーナッツバターを塗って、

全体にハチミツを垂らし、

チアシードを振りかける。

これがマイブーム。

 

ジャムの棚を眺めると、

これだ、というのが見つかった。

欧州製のイチジクのジャム。

妙な混ぜ物もないし、

値段も安い。

 

しかし、買い物カゴに入れようとしたとき、

あまりに安すぎると思った。

で、棚をよく見てみると、

そのジャムは別の段の高級品の仲間で、

間違って置かれていることがわかった。

 

あらためて値段を表示した札を見ると、

イチジクではなくイチゴジャムと書いてある。

またまた老人力発揮。

注意力が足りなかった。

 

まいった。

 

 

今日は「哲学チャンネル」の最新作、

アルベール・カミュの、

『シーシュポスの神話』

 (清水徹訳/新潮文庫/1969)

を解説した動画を観た。

 

僕はその本を大学のときに読んでいる。

巻末に「1973.11.30」という、

読了日がしるしてある。

 

しかし、どこまで理解したか、

ハッキリとした記憶はない。

何となくわかったつもりで、

放置し続けてきたような気がする。

 

解説はいつもどおりわかりやすい。

 

人生は意味のない「不条理」なもの。

しかし「自殺」してはいけない。

自分を殺すことに一貫した合理性はなく、

自殺は理性を超えた行為で、

思考の放棄。

 

「希望」を持つことも間違っている。

人生に無理に意味を与えることも、

理性的ではない。

 

無限の労苦を課せられたシーシュポスが、

その裁きを受け入れたように、

「不条理」を受容して、

ただ生きていけばいい。

 

 

『シーシュポスの神話』のほかに、

『太陽の讃歌 カミュの手帖ー1』

 (高畠正明訳/新潮文庫/1974)

も書棚から抜き出してきた。

 

その中の言葉。

 

〈ただ1つ可能な自由とは、死にたいする自由だ。

 真に自由な人間とは、死をあるがままに

 受け入れながら、同時にさまざまなその結果まで

 ーーつまり、人生のありとあらゆる伝統的な

 価値の転倒を受け入れるひとのことだ〉

 

 

動画の解説を聴き、

カミュの本を拾い読みして思ったことは、

僕も自殺する気はないし、

希望も持ってないし、

不条理を受け入れているということ。

 

そして自己愛が過ぎるかも知れないけど、

おそらく僕も、

〈真に自由な人間〉だということだ。

 

 

〈ぼくが感じているすべてを書くこと。

 行き当たりばったりに、小さなことまで〉

 

こちらは前にも引用したことがある、

『反抗の論理 カミュの手帖ー2』

 (高畑正明訳/新潮社/1965)

の中の言葉。

 

いつもかつも〈すべてを書く〉のはむずかしいけど、

その言葉をこのブログの方針としている。

なので〈小さなこと〉をひとつ付け加えておこう。

 

 

カープのドラ1常廣羽也斗投手が、

今日初めてシート打撃に登板した。

 

春のキャンプで150キロをマークして、

順調に滑り出したように見えたものの、

その後どこか故障したようで長い離脱。

ようやく正真正銘の1歩を踏み出すことができた。

やれやれだ。

 

しかし、うまくいけば来月、

1軍デビューという運びになるだろうけど、

今年カープの投手陣は、

いちおうアタマ数は揃っている。

 

いま2軍には、

去年大活躍した大道投手、

新外国人のハーン投手も控えていて、

簡単には上に上がれそうもない。

 

これからウエスタンの試合で、

よほどの投球内容を示さないと、

今年はずっと2軍暮らし、

ということだってあり得る。

 

状況がどう推移するか興味深い。