〈帯広で生まれたから、ぼくが初めて見たのは

 ここの風景だ。/広くて、平らで、道幅があって

 家はまばら、遠くに山並みが見える。

 冬はすべて雪。/それがずっとついてまわる。

 世界中どこに行ってもこれを基準に比較して理解する。〉

 

昨日話題にした「相原求一朗の風景」の中で、

池澤夏樹さんがこう述べている。

 

帯広のような風景を、

僕はいまだに見たことがない。

北海道は1度だけ旅行したことがあるけど、

帯広までは足を伸ばしていない。

 

なのでそのような風景を、

毎日見て育った池澤さんの感覚もわからない。

 

うらやましく思うのは、

近くに日高山脈があることだ。

最高峰・幌尻岳は2,052m。

 

僕が生まれ育った、

広島の海辺の町の周辺には、

低くてなだらかな山しかない。

 

雄大な山のふもとで、

子供時代を過ごしてみたかった、

と思ったことが何度もある。

 

「偉大な自然」と、

つねに向きあうことになるわけだから、

瀬戸内ののっぺりとした、

平和すぎる風景の中で暮らす、

人間がいだくことのない、

世界観が醸成されただろうし、

そういう世界観を持つ人間になってみたかった、

と何度も思ったのだ。

 

そのエッセイには書かれてないけど、

帯広は空も広くて、

星もたくさん見れたはず。

そのことにも憧れる。

 

星空は自分がいかにちっぽけな存在であるか、

高峰以上に教えてくれる。

もちろん昼間の太陽も圧倒的だけど、

僕の場合は夜空のほうが師匠だ。

 

ついでに言えば、

僕のもうひとつの師匠は、

広島と山口の県境を流れる川。

 

僕の家は満ち潮になると、

海水が押し寄せてきて、

川の流れを止めてしまう、

下流の土手の近くにあって、

2階からその川が見えた。

 

平素はゆるゆるとした流れだけど、

雨が降ると様相が一変する。

豪雨ではなくてもすぐに水量が増し、

流れも速くなり、

川は猛々しい生きものに変身するのだ。

 

下流で降ってなくても、

上流でまとまった雨が降ると、

もっと大変なことになる。

大木が流れてくることなんてザラ。

僕は自然の凄さをその川で思い知った。

 

川の中洲で釣りやキャンプをしていた人たちが、

雨が降って来て、

たちまち増水したために、

川の真ん中に取り残されるということが、

たまにニュースになるけど、

降水確率の高いときにそんなことをするのは、

僕からすればあまりに無謀というほかない。

 

 

今日読んだ箇所では、

上岡直見さん(1953〜)の、

『鉄道は誰のものか』(緑風出版/2016)

にまつわる話が勉強になった。

 

上岡さんによれば、

〈公共交通機関について、日本ではそもそも最初から

 考えかたが間違っている〉

とのこと。

 

〈鉄道を廃止して高校生の通学の手段を奪うことは

 (憲法)第26条の「教育を受ける権利」の侵害に当たる〉 

 

〈通勤について言えば、第27条はすべての国民に

 「勤労の権利」があると言っている〉

 

〈鉄道は弱者の交通手段〉

 

〈国民には地方都市に住む権利があり、その先の山奥にも

 住む権利がある。そこでも「健康で文化的な最低限度の

 生活を営む権利」は保証されなくてはならない。/

 平等という理念が近代国家の基礎だから〉

 

ふだん、赤字路線の廃止問題について、

考えることはないけど、

たしかにそうだなと思った。