毎日すこしずつ読みすすめている、
『天はあおあお 野はひろびろ』。
今日は「相原求一朗の風景」という、
エッセイを読んだ。
池澤夏樹さんが「中札内美術村」、
正式には「六花亭アートヴィレッジ中札内美術村」で見た、
相原求一朗(1918〜99)という画家の絵が気に入って、
彼が風景画を描いた、
帯広の牧場や利尻島を訪ねたり、
美術村の運営会社の社長に会いに行って、
村にまつわる話を聞くという内容。
僕は中札内美術村も、
相原求一朗も知らなかった。
で、どちらも調べてみたのだけど、
美術村はさておき、相原求一朗の絵は、
初めて見た池澤さんが、
〈北海道の風景が多かった。見てゆくうちに
呪縛された。/本当に視線が絵に吸い込まれて、
その場から動けなくなった〉
と感動した様子を書いているけど、
たしかに見る者に、
強く訴えかけてくる力がある。
たとえば池澤さんが、
相原がイーゼルを立てた場所を突き止めた、
利尻富士の絵、
「潮騒に屹(そばだ)つ 利尻岳」にしても、
山の迫力は素晴らしいし、
ブルーが支配的な色調が、
積雪の残る季節の、
大気の清涼さを感じさせるし、
秀逸な作品だと思う。
ただ僕は全面的には賞賛できない。
元美術系予備校講師として、
例によって、ひとこと言いたくなる。
何度も書いているけど、ふつう風景画は、
「近景」「中景」「遠景」で組み立てられる。
3者を表現できないと自然な空間は出ない。
相原の絵は「中景」が抜けた絵が多い。
なのでそういう絵は、
奥行きがなくて平面的になっているし、
しかもメインとなる遠くの山を、
力強く描いているので、
山が画面前方にせり出してきていて、
空間がよけい不自然になっているのだ。
あと、隅から隅まで精密に描くのはいいけど、
画面に「抜け」がないので、
見ていると息苦しくなってくる。
言ってしまえば相原の絵は、
まだシロウトの域を出てないわけだけど、
僕は彼は道を間違えたと思う。
つまり、具象の道を歩むか、抽象画家になるか、
彼が迷っていた頃に、
狩勝峠を描いた、
「風景」(1962)という絵があるけど、
その絵は具象と抽象をうまく折衷した、
個性の際だつ表現で、
その表現を突き詰めていけば、
偉大な画家になったのでは、
という気がするのだ。
具象、抽象という、
お定まりの区分けをするのでなく、
自分の感性に素直に向きあって、
自分なりの表現方法を模索する。
そうしなかったことで、
魅力ある具象画は描けるようになったけど、
画家として唯一無二の存在に、
なれなかったのだと思う。
彼が兵役で大陸に行っていたときに描いた、
水彩画が文句なしに素晴らしい。
とくに「牛」という、
放牧している牛の群れと牧童を描いた作品。
彼は水彩画家になってもよかった。
根を詰めて描くのではなく、
「牛」のように、
軽いタッチで表現する水彩画家。
その道を選んでも、
1流の画家になったはず。
要するに彼は芸術を「仰ぎ見て」いたのだ。
高いところにあるものと思うので、
自分をその世界に合わさなければ、
という気持ちが先に立つ。
芸術が自分とおなじ次元にあると思えば、
芸術とも自分とも正面から向きあえる。
自分の感性と知性に従って好き勝手なこともできる。
そう、岡本太郎のように。
仰ぎ見た理由のひとつに、
父親に反対されて、
美術学校に行けなかったことがあるような気がする。
美術学校、いまの美術大学で学ぶことには、
とうぜん善悪両面あるわけだけど、
学べば、ふつうは、
いたずらに仰ぎ見るようなことにはならない。
あと、やはり、
的確なアドバイスをしてくれる人が、
いなかったのだろう。
いずれにせよ、相原求一朗の絵を見ていて、
豊かな才能が充分に花開かなかったことを、
残念に思った。