時間に追われて生活している。
毎日ブログを書いているので、
どうしてもそうなる。
自由気ままな日々。
それは理想ではあるけど、
命あるかぎり成長したい。
昨日とおなじ自分は、
できれば見たくない。
そのためにはブログ執筆に励んで、
自分を鞭打つしかない。
インプットだけだと、
知識がムダに溜まるばかり。
というか老人力のせいで、
ろくに溜まりもしないけど。
しかしアウトプットすれば、
得た情報と真剣に向き合う。
あれこれ考える。
そして何とかたどり着いた結論を、
自分の言葉で表現する。
何度も書き直す。
それらのことが時にセンチ単位で、
たいていは1ミリ程度、
自分を変えてくれる。
他の生きかたは、
今のところできない。
唯一、時間を忘れるのは、
朝食のときだ。
起きるとすぐに、
前夜下書きしたブログを推敲する。
これがタイヘン。
しっかり下書きしたので、
推敲は楽勝と思われるときも、
あらためて読んでみると、
かならず問題点がいくつか明らかになる。
しかも簡単に解決することはまずない。
なので何とか完成に漕ぎつけ、
それを受けて朝食を用意し終わると、
安堵感・解放感が生じて、
そのときだけは時間のことなど、
気にならなくなってしまうのだ。
しかしそれも束の間、
午後、読書・お絵描きするためには、
頭をクリアにしないといけない。
そしてクリアな時間を多くする必要がある。
そのためには早く昼寝しないといけない。
いつまでもリラックスしてられない。
読書やお絵描きに夢中になって、
夕食の時間を遅らせるわけにもいかない。
21:30くらいに下書きを始めるので、
早く夕食を終えて、
何を書くか考えないといけない。
下書きが終わっても、
夜更かしするわけにはいかない。
早く寝ないと朝寝坊することになる。
下手をすると朝食が12:00、
なんてことにもなりかねない。
翌日に悪影響を及ぼすことはできない。
ま、そんな「せかせか」とした、
毎日を送っているわけだけど、
というか、いま書いたようなことは、
何度も書いているはずだけど、
それはさておき、
今日は「アバタロー」チャンネルの、
最新作が勉強になった。
レイチェル・カーソン(1907〜64)の、
『センス・オブ・ワンダー』
(上遠恵子訳/新潮文庫/2021)
を解説した動画。
センス・オブ・ワンダーとは、
〈神秘さや不思議さに目を見張る感覚〉
〈人間を超えた存在を認識し恐れ共感する感性〉
〈人間の生きる力そのもの〉
そしてカーソンは、
〈知ることは感じることの半分も重要ではない〉
と述べている。
それらのことは、
僕なりに理解できてはいるつもりだけど、
歳をとると何もかも衰えていく。
その大切さを忘れないために、
その本を買って手もとに、
というか勉強机の上に、
置いておくべきかも、と思った。
あと、福田平八郎(1892〜1974)の展覧会が、
いま大阪中之島美術館で開かれているという、
ネットの記事を読んだので、
検索して彼の作品を超ひさしぶりに観てみた。
僕は大学のとき彼の絵を初めて観て、
衝撃を受けたのを覚えている。
今日も感心した。
いつ観ても「独自の視点」という言葉が、
ぴったりの彼の世界は、
僕を元気にさせてくれる。
ときどき彼の絵も観ないといけない、
と思った。