五木寛之さんに、

『雨の日には車をみがいて』(角川書店/1988)

という短篇集がある。

 

僕は発売されてすぐに読んだ。

とくに面白かったという記憶はない。

 

だからというわけではないけど、

その本はずいぶん前に手放してしまって、

いまは手もとにない。

 

僕は小説は1度読んだら、

いくら面白くても、

2度読むことはまずない。

なので基本、処分することにしている。

読みたくなったらまた買えばいい。

 

処分する気にもうひとつ成れず、

ずっと書棚に並べている小説もある。

たとえば大江健三郎さんの短篇集、

『死者の奢り・飼育』(新潮文庫/1959)

 

しかしその本も面白かった記憶はあるけど、

何10年も放置したまま、

いまだ再読はしていない。

 

逆にずっと手もとに置いておきたい小説もある。

たとえばヘンリー・ミラーの、

『南回帰線』(大久保康雄訳/新潮文庫/1969)

 

何度も何度も噛みしめたくなる言葉が、

たくさん書いてあるからだ。

ヘンリー・ミラーは別格。

 

〈きみが行けば、世界も行くーー

 正確に、きみと歩調をそろえて〉

  (As you move the world moves with you,

 with terrifying exactitude.〉

 

僕はその言葉が好きで、

そのむかし開設していた、

ホームページの冒頭に、

原語のほうを掲げていた。

 

もちろん「クサイ」行為なので、

笑われるのは承知で。

笑われるのが僕の「天分」!

 

『南回帰線』は原語版も持っている。

『Tropic of Capricorn』

 (A Flamingo Modern Classic/1993)

 

別格と言えばカフカも別格。

しかしカフカの場合は、

新潮社の『決定版 カフカ全集』(全12巻/1992)

を持っているけど、

読み返すのは小説以外の著作ばかり。

 

 

五木さんのその小説を持ち出したのは、

雨が降りしきった昨日、

そのタイトルが頭に浮かんだからだ。

 

というか雨の日はたいてい思い浮かぶ。

そして僕がアレンジしたタイトルも。

 

「雨の日には洗濯機をまわして」

 

なので僕は雨が降ると洗濯したくなる。

昨日もその気持ちが湧いて、

1度まわして部屋干しした。

 

話が逸れたけど、

ふとそのことを思い出して、

書きたくなったから書いた。

それだけ。

 

 

昨日、鹿島の桜の話になったので、

茨城について記憶をたどってみた。

 

茨城には仕事でもプライベートでも、

何度も訪れている。

有名なところでは「袋田の滝」に行ってないけど、

僕が最も気に入っているのは、

鹿島神宮の森だ。

 

あの巨木の森は素晴らしい。

街なかと言ってもいいような場所で、

自然の真っ只中に放り出されたような、

あの森の感覚はまず味わえない。

 

こちらの話は今日はひろがりそうにない。

もう止めよう。

 

 

『天はあおあお 野はひろびろ』

の中に、

池澤夏樹さんの母方の祖母のことが書かれている。

 

彼女の一族は、

淡路島から日高に移住していて、

元は下級武士。

なので彼女は士族というプライドがあった。

 

しかし新天地で一時は繁栄した家庭が没落して、

結婚することになった青年は平民の出。

彼女は身分の違いを嘆いたとのこと。

 

〈こういう明治生まれの階級感覚は

 もう今のぼくたちにはわからない〉

 

池澤さんとおなじように、

僕もわからない。

その意味では良い時代になったと思う。

 

しかし部落問題はまだ引きずっている。

依然、悪い時代だ。