ヘンリー・D・ソローの、

『ウォールデン 森の生活(上)』

 (今泉吉晴訳/小学館文庫/2016)

を読み終えた。

 

巻末に書いておいた、

読み始めた日を見てみると、

3月9日。

ちょうど1ヶ月かかったことになる。

 

450ページくらいだから、

1日15ページのペース。

毎度のことだけど、

読みやすい本なのにノロすぎた。

 

それはさておき、この本には、

良いことがいっぱい書いてある。

必読書と言ってもいいかも知れない。

 

〈森の家で暮らした私と同じように誰もが簡素に暮らせば、

 泥棒や強盗はいなくなると固く信じています。

 泥棒は、一部の者が必要以上に持ち、他の者が必要を

 満たせない社会でなければ、生まれようがありません〉

 

今日はここが良かった。

必要以上に持っている人も多いけど、

持ちたいと思っている人も多い。

 

歪んだ社会だと思う。

 

 

『天はあおあお 野はひろびろ』

は「津波と疫病 自然と人間」(2021年6月)の中に、

コロナが流行っていた頃、

池澤夏樹さんがどういう毎日を、

送っていたかが書かれている。

 

〈執筆に励み、本を読み、飽きたら自分の机上に

 ネットで配信される映画を見る。/そして散歩に出る〉

 

コロナの頃でなくても、

講演とか取材とか外の仕事がないときは、

そういう生活だと思うけど、

池澤さんの場合、

アウトプットにインプット、

そして軽い運動ということで、

無駄がないというか、

やることなすことすべてが、

自分を育てる養分になっている感じ。

 

僕のように野球やサッカーに興味を持つ、

俗物とは違う「高貴な」世界の住人。

 

僕の場合はサッカーが好きになったのは、

中学に入ってからだけど、

父親が社会人野球の選手だったので、

物心ついたときは、

すでにグローブやボールが手もとにあって、

野球が生活の中に組み込まれていた。

 

つまり生まれながらの俗物。

 

俗物には俗物なりの楽しさがあるけど、

高貴な人間になってみたかった、

と思ったりもする。

 

ちなみに、何度も書いているけど、

僕の日常は、

ブログの執筆に励み、本を読み、絵を描き、

ネットの記事を読み、YouTubeで勉強したり、

野球やサッカーの動画を観る。

映画は観ない。

散歩もしない。

そのかわり昼寝をする。

 

4年前にブログを始めてから、

何も変わっていない。

どこでどうなるかわからないけど、

もう変わらないような気もする。

 

 

今日、YouTubeでは、

ひさしぶりに「真実の目」チャンネルをひらき、

最近公開された、

仏教と量子力学の関係を考察した動画を観た。

 

量子力学はミクロの世界の話だけど、

動画を観ていると、

マクロの世界でもおなじようなことが、

起きているような気がしてきた。

 

たとえば、何でもいいけど、

ボールペンならボールペンに視線をそそぐ。

そうすると、その時だけ、

そして、そそがれた部分だけが、

「波」から「粒子」に変化し、

形体になる。

 

ボールペン全体を、

同時に見ることはできないので、

ペン先に視線をそそぐと、

他の部分は波状のままで、

ボールペンがひとつの形体として、

じつは存在していない。

 

そんな気がしてきた。