昨日の広島の有名食材の話をもう少し。
僕は誕生日はもちろん知っているけど、
何時にとか、
どこで生まれたとかは知らない。
知りたければ両親に聞いていた。
しかし関心がなかったので、
けっきょく聞くことはなく、
わからないまま今日まで来ている。
今もべつに知りたいとは思わない。
生まれてからどこに住んでいたのかも、
何となくあそこだろうとは思うけど、
ハッキリとはわからない。
しかし物心つくかつかないかの頃に、
高校を出るまで暮らした家に引っ越した。
その家のことは当然鮮明な記憶がある。
その家は古い借家。
2階建て2軒長屋の西側。
1階はカマドのあった台所と、
父親がひらいていたソロバン塾。
2階が居住スペース。
その2階の窓から宮島が見えた。
宮島とはそのくらい近い。
ここで昨日の話につながる。
そのくらい近いのに、
穴子が宮島の名物だということは、
大人になるまで僕は知らなかった。
穴子で有名なレストランは「うえの」。
宮島ではなく、
本州側の連絡船の船着場の近くにある。
調べてみると創業明治34年。
ということは僕が子供の頃にも、
すでにその場所にあったわけだけど、
僕が宮島名物を知らなかったのは、
自宅でも学校でも、
その店の話題が出なかったからかも知れない。
いずれにしても、ごく身近なことでも、
知り尽くすというか、
詳しい知識を得ることは容易ではない。
そして非常に興味深いことでも、
おなじことが言えると思う。
つまり人はまとまりのない情報ばかりを、
頭に詰め込んで生きている。
そういうことを何となく思い、
何となく書きたくなったので書いた。
ちなみにもみじ饅頭に関しては、
早くから知っていたし、
何度も食べたことがある。
ただ子供の頃のもみじ饅頭は、
中身がすべて餡。
いまのように種類が増えたのはいつ頃からだろう。
それもわからない。
いまは「揚げもみじ」も有名なようだけど、
そちらが売り出されたのは2001年とのこと。
僕が広島の土を踏んだ最後の年。
もちろん実際に見たことも食べたこともない。
大阪の公立高校の入試の、
合格者の校内掲示を今春限りにする、
という記事を読んだ。
当然だろう。
自分の番号が掲示されていれば、
合格した歓びが増す。
わかるけど、そういう時代は、
とっくに過ぎ去っている。
記事を読んでいると、自分の中学入試の、
合格発表のときのことを思い出した。
なんと夜8時頃の発表。
もちろん校内掲示。
なぜそんな時刻にしたのかはわからない。
しかしあらかじめその時刻であることは、
知らされていた。
何かの事情で遅れて夜になったわけではない。
自宅から中学まで、
自転車-汽車-広島市内電車、
と乗り継いで2時間かかった。
平日だったし父親は翌日仕事がある。
母親も家のことがあるし、
赴くわけにいかない。
そこで広島市内在住のイトコに、
見に行ってもらった。
そして当時のわが家には電話がなかったので、
近所の金持ちの家に連絡を入れてもらった。
昔はそういうことが当たり前だった。
ま、それはさておき、
古い慣習を改めるのは簡単ではないと思うけど、
校内掲示を今春でやめるというか、
今春までやめなかったのは、
時代の流れを思うと、
やはり奇妙な印象を受ける。