今日の落胆。

 

サンフレッチェのナッシム・ベンカリファ選手の、

福岡への完全移籍が決まったこと。

 

好きだった選手なので、

すごく残念。

 

つねに献身的な姿勢。

ときおり見せるスーパープレー。

素晴らしかった。

 

それにしても急な話だ。

彼はすでに今季の契約を結んでいる。

ユニフォームの販売も始まっている。

週明けからは宮崎キャンプも始まる。

 

しかし不思議な話ではない。

大橋祐紀選手が加入して、

昨季も多すぎるほどだった前線の選手が、

ますます多くなった。

 

その多人数の中で、

ベンカリファ選手の序列は下のほう。

全員調子が良ければ、

ベンチ入りもできない。

 

それに彼は今月32歳になる。

あと何年もプレーはできない。

 

昨日オファーが来て即断したようだけど、

出場機会が多く見込めるチームに、

移りたいのも無理はない。

 

さようならナッシム!

悲しいけど、Good luck!

 

 

年が明けると、

ひらいてみたくなる本がある。

 

『井上靖全詩集』(新潮文庫/1983)

 

それは「元旦に(一)」という詩を読みたいからだ。

今年は今日ようやく書棚から取り出した。

 

その詩は、井上靖少年が、

書初めの際に父親に書かされた言葉、

「少年老いやすく、学成り難し」

をそれから30数年を経て、

おなじように自分の子供たちに書かせている、

という内容だけど、

 

〈そして、私の父が考えたであろうように私もまた考える。

 この烈しくして、真実なる言葉を、ただ1つのこの正確

 なる遺産を、4人の子供の胸に刻む鋭き鑿はないかと。〉

 

という結びの3行に、

いくら年老いても、

僕はムチ打たれるのだ。

 

もうひとつ引用する。

「盗掘」という詩から。

 

〈私もまた掘り始めなければならぬと思う、

 死者の静けさと、王冠の照りの華やぎを持つ

 何ものかに向かって。たとえば、私の死後

 50何年目かにやってくる、とある日の

 故里(ふるさと)の落日の如きものに向って。〉

 

このブログの目標は、

文章のスタイルとしては、

「詩的散文」。

 

つまり無駄な言葉がなくて、

限りなくシンプルで、

なおかつ行間から、

「詩的香り」が立ちのぼってくるような文章。

とでも言えばいいか。

 

しかしその理想とする形式だけを、

追い求めているわけではない。

 

その姿勢もいいかげん身の程知らずだけど、

さらに厚かましく言えば、

僕もまた、

〈死者の静けさと、王冠の照りの華やぎを持つ

 何ものかに向かって〉

掘りすすめているつもり。

 

毎日、思いついたことを、

恥ずかしげもなく書き散らしているけど、

僕の「掘りかた」は他にないのだ。

 

 

『鉄道大バザール(上)』

 (ポール・セルー/阿川弘之訳/講談社文芸文庫/2012)

でひとつ目に留まった言葉。

 

〈観光というやつは学問とよく似たところがあって、

 根っからの無精者を喜ばせる〉

 

そうかも知れない。

僕も旅と勉強が好きだ。

痺れた足のせいで、

旅はもうできないけど。