またまた柳瀬楓菜選手。

 

 

 

元日にXに載せたのでこちらにも。

この絵は去年のWEリーグ杯制覇直後に、

グラウンドで撮影された写真を見て描いた。

写真の著作権はWEリーグ。

 

最初もっと下のほうまで描いていたのだけど、

絵が締まらないので、

思いきってカットして上のようにした。

 

しかし2つの腕・袖・背中の関係を、

充分に意識することなく、

カット作業をしてしまったので、

4者の「下の切れかた」に、

リズム感が生まれなかった。

 

最近そういった広範囲の、

カット作業をしてなかったせいか、

ついカットすることだけに、

精いっぱいになっていたわけだけど、

理由がどうあれ、

部分と全体の関係に目を配れないという、

基本的なミスをするなんて、

まだ修行が足りない、と思った。

 

ただこの絵は自分の実力以上の絵になっている。

いつか書いたように、

そうなっている絵が公開の条件。

なので公開することにした。

 

自分の実力以上のものが絵に表れるのは、

集中力、モチーフの本質を見極める力、

そのときの体調やペンを持つ指のコンディション、

などがいずれも優れている場合に、

「魔力」が生じるからでは、

と思うのだけど、

いつも線描表現している僕は、

モチーフの表面的な線をなぞってしまいがち。

 

そうなると、

似てはいるけど詰まらない絵になってしまう。

 

柳瀬楓菜選手はしつこく書いているように、

僕にとって憧れのアイドルというより、

「親戚のかわいい娘さん」

といった表現がたぶんいちばんふさわしい、

すごく親しみを感じる女性。

それに彼女のエネルギーあふれる、

プレーもとても魅力的。

今年もひそかに、そして熱烈に応援する。

 

 

今日の言葉。

 

〈僕は、感性的に、正統のものが嫌いなんだね。(・・・)

 正統を唱え、正統と称する人たちのうしろには、

 いつも大きな歴史的な根があってそれに頼ろうとする。(・・・)

 安全性があり道も開かれている。だが、異端には、

 そういうものはない。正統には国家も法律も加担して

 くれるからね。だから正統は怖いですよ。〉

 

昨日とおなじ金子光晴の、

『自由について』(中公文庫/2016)

からの引用。

初出は1972年「図書新聞」。

 

なぜ引用したかと言えば、

僕も正統が嫌いだし、

僕の場合、世の中と、

真っ向から渡りあわずに生きてきたので、

〈怖い〉という感覚はないのだけど、

〈安全性があり道も開かれている〉

世界に身を置くなんて、

みっともないと思うから。

 

僕は若くて正統という人がとくに苦手。

僕の専門の美術の世界で言えば、

学生時代から権威ある公募展に出品するような、

美術作家としてスタートする段階から、

いきなり権威にすがろうとする人たち。

 

僕がかよっていた大学には、

その手の学生が何人もいて、

なかには遠ざけられない人たちもいて、

その人たちとはテキトーに付きあったけど、

僕にはつねに「異星人」と、

付きあっているような感覚があった。

 

 

今日は僕的にはブログを書くのは、

いつもより苦しい作業だったけど、

明日、長く待ち続けた、

西川龍馬選手の人的補償の発表がある、

という報道があったので、

何となくソワソワしていて、

腰を据えて取り組めなかったせいもある。

 

大反省だけど、

ソワソワするのは子どもの頃から、

カープファンであり続けた「悲しいサガ」。

完璧に乗り越えることはむずかしい。