『大江健三郎 同時代論集』

を片付けがてら、

ブログのネタになる本はないかと、

書棚を眺めていたら、

 

『366日 命の言葉』

 (大橋巨泉/ベスト新書/2013)

 

が目に留まった。

 

その本は1月1日から12月31日まで、

1日について1人だけ、

その日亡くなった人を選び、

その人の言葉を1つ採りあげて、

その言葉とその人の人生を語る、

という内容。

 

たとえば今日10月23日は、

二所ノ関部屋の力士を経て、

NHKの解説者を長く務めた、

玉ノ海梅吉(1912〜88)さん、

が選ばれている。

 

言葉は、

〈相撲のことを忘れのんびり暮らしたい。〉

で、

〈これは解説を降りた時の言葉で、

 なんと初土俵から52年経っていた。〉

と説明されている。

 

玉ノ海さんの解説はよく聴いたけど、

今日書きたくなったのは、

彼のことではない。

安井曾太郎(1888〜1955)さんについてだ。

 

安井は12月14日が命日。

〈安井の「外房風景」を大原美術館で見て

 ファンになった〉

と「美術評論家」でもある巨泉さんが書いているので、

さっそくその絵をネットで探してみた。

 

どんな絵か、まるで記憶にない。

絵を見ても、ああこの絵か、

とはならなかった。

 

描かれている場所も、

千葉人なのに、

外房のどこかわからなかった。

 

九十九里ではないので、

南房総なのは明らかだけど、

調べてみると鴨川だった。

 

旅館の部屋で、

窓外の眺めを描いた絵のようで、

その旅館はいまも営業中。

その部屋もそのまま残っている。

 

構成の堅固な絵だ。

垂直の木と、

水平の陸地、海、空で、

ガッチリと組み立てられている。

 

そして単調な組み立てにならないように、

いちばん太い幹の一部を曲げたり、

海岸線を斜めに傾けたりしている。

 

後者に関しては、

実際にそう見えたのかも知れないけど。

 

あと、構成が弱くならないように、

空の面積を少なくしている。

広くとると開放感があっていいのだけど、

画面の緊張感が薄れてしまう。

 

構成をみるとプロの仕事だ。

「デッサンの達人」、

天下の安井曾太郎の絵なので、

当然だけど。

 

僕は受験生のとき、

「デッサン入門書」といった類いの本に、

載っていた安井の人物デッサンを、

しょっちゅう眺めていたのだけど、

素直で堅実な表現に、

いつも魅せられていた。

 

上手さを感じさせない上手さ!

 

しかし「外房風景」は、

構成的には納得がいくけど、

色彩には魅力を感じない。

それにコンスタブルの風景画のような、

しみじみとした味わいもないのだ。

 

なので僕的には、巨泉さんと違って、

アンテナに引っかからない絵だ。

 

採りあげられている言葉は、

 

〈まだ画き足りないけれど、

 もうこれ以上どうしようもない。〉

 

どういう状況での言葉なのか知りたいけど、

説明はない。

なので、僕が思ったことを、

勝手に書くとしよう。

 

1枚の絵を描き続けていると、

そうつぶやきたくなる地点に、

かならずたどり着く。

 

絵を描く場合、

とにかく、そこまで行くことだと思う。

僕もここ何年かずっと絵を描いていて、

毎回その地点を目指している。

 

たどり着くと、

自分の才能の乏しさ、

技術の未熟さを思い知り、

絶望感にさいなまれる。

 

しかしその絶望感のほかに、

道を開いてくれるものはない。

と思うのだ。

 

 

他の人についても書くつもりでいたけど、

長くなった。

ここで終わりにしよう。