故郷の田舎町の秋祭りの記事を読んだ。

 

コロナによる変則開催が終わり、

4年ぶりに通常の形式で行われたとのこと。

いずこもおなじの「復活祭」。

 

子供の頃の10月の思い出といえば、

その祭りだ。

 

現在は第3日曜日に開催。

当時は19日と決まっていた。

なので秋祭りといえば、

たいてい平日だった。

 

小学校の授業は1時間目で終わり。

すぐに帰宅して、

山車の置いてある場所に駆けつける。

小学生は山車を引っ張る係なのだ。

 

その山車がデカい。

下の台は4畳半くらいの広さだっただろうか。

車輪付きの板張り。

手すりも付いている。

 

その上に大きな太鼓を組み入れた、

四角な構造物。

それも木製。

その構造物に支えられた、

2階部分が舞台になっていて、

毎年ちがったテーマで、

張りぼての人物や、

関連の「物たち」が据えられる。

 

「加藤清正、虎退治の場面」

というテーマを覚えている。

 

山車は町内の7つか8つの地区が、

それぞれ所有していて、

その地区の10数名の男子小学生が、

大人の手も借りながら、

町内のメインストリートを、

数時間、引っ張って歩いた。

 

僕は引っ張るのは嫌いではなかった。

自分が祭りの重要な役割を担ったような、

誇らしい気分になったし、

たまにバスで通るだけの、

メインストリートを行進するのは楽しかった。

 

しかし僕が、何が何でも、

故郷の町を離れよう、

という気持ちになったのは、

その祭りが大きな理由。

 

張りぼては、その地区の若者が、

毎年数ヶ月かけて制作する。

何人かが交代で、手が空いたときに、

地区内の作業場で汗を流す。

 

その人たちは「青年団」という、

組織に所属していた。

彼らはいろんな催しに奉仕する、

地区にとって大きな存在。

 

僕はその1員になりたくなかったのだ。

それは生理的反応。

他に理由はない。

とにかく地元の歳のちかい人たちと、

一緒に行動したくなかった。

 

その拒否反応が生じたのは、

高学年になってからだけど、

地元の中学でなく、

広島市の中学に通うようになってからは、

いっさい地元に関わりたくなくなった。

 

そしてカープや東洋工業(サンフレッチェ)は、

好きだったけど、

やがて広島市、広島県からも脱出したくなった。

 

その後なんとか脱出を果たし、

1度帰広したけど、

あちらこちら、ずっと漂っている感じ。

 

 

癌になって病院を変えたくないので、

もう千葉を離れようとは思わない。

 

まさか最後に千葉にたどり着くなんて、

想像もしてなかったけど、

住民との関係が濃くなる、

田舎に住む気はしないので、

そこそこ都会っぽい町が、

終着点になるような気はしていた。

 

たとえば坂口安吾の住んだ、

みんな中途半端な地方都市と誰かが言っていた、

小田原、取手、桐生といったような町。

 

ところで、今それらの町を、

安吾の著書で確認しようと、

書棚を探したら1冊もなかった。

3年前に蔵書処分をしたとき、

なぜかすべて手放した模様。

 

柄谷行人さんの、

『坂口安吾論』(インスクリプト/2017)

を持っているので、

それだけでいいと思ったのかも知れない。

確かに、いいような気もするけど。

 

3つの町はネットで確認した。

 

 

強引にオチをつけるとしようか。

 

何にしても、

故郷の町からも祖国からも、

逃れられるけど、

この星から脱出することはできない。

 

大きな檻の中で、

息苦しい毎日を過ごしてきた、

という実感が僕にはある。

 

もちろん、哀れなヤツ!