昨日の中嶋淑乃選手と満田誠選手の背番号が、

おなじ11番という話、

共通点が「エース」「熊本出身」というだけでなく、

もうひとつあった。

忘れていた。

 

2人はおない年なのだ。

1999年生まれ。

しかもおなじ7月。

 

生まれた日は中嶋選手が27日で、

満田選手が20日と違っているけど、

ほんとレアケース。

 

 

『言葉と物』は、

おなじところで足踏みを、

しつづけていてもラチがあかないので、

「序」を読むのをやめて、

本篇に歩をすすめた。

 

佐藤優さんに、

『読書の技法』(東洋経済新報社/2012)

という本がある。

 

その中に佐藤流「熟読の技法」が、

披露されている。

 

あるジャンルについて、

基礎的知識を得たいときにヒモトく、

「基本書」の熟読のしかた。

 

なぜそれについて触れたかというと、

 

〈熟読法の要諦は、同じ本を3回読むことである〉

〈第1回目は線を引きながらの通読〉

〈第2回目はノートに重要箇所の抜き書き〉

〈最後に再度通読〉

 

という佐藤流熟読法で、

『言葉と物』を読むことにしたからだ。

 

読むのが若いときから「宿願」だった、

なんて言うとおかしいけど、

読みたいと思い続けていた、

しかし根っからナマケモノなので、

ずっと放ったらかしにしていた、

そしてこの歳になって、

人生、後がなくなって、

ようやく本気で読む気になった『言葉と物』。

 

なので、僕にはむずかしすぎる本だけど、

できるかぎり理解したくて、

佐藤流で行くしかない、

と思ったのだ。

 

人生最後の書。

冗談じゃなくその可能性は低くはない。

でもぜんぜんかまわない。

 

しかし読み終えると、

どんな新しい世界が開けるか、

いまは想像もつかないけど、

人生最後の書とならないで、

もしその世界に立ち会えたら、

もう、ほんと、言うことはないし、

もちろんそうあってほしい。

 

 

いま読んでいるのは、

本篇最初の章の、

ベラスケスの「ラス・メニナス」の分析。

 

大むかし、プラド美術館に行ったとき、

買ってきた絵葉書をわきに置いて、

フーコーの指摘することを、

いちいち確認しながら読み進めている。

 

絵葉書の絵の裏面には、

MUSEO DEL PRADO. Madrid.

VELAZQUEZ

Las Meninas

PRINTED IN SPAIN

といった文字が並ぶ。

 

プリントした年は、

ハッキリそれとわかるように記されてないけど、

たぶん1982年。

 

ベラスケスの大傑作について書かれた、

フーコーの文章を、

その絵を参照しつつ読む。

 

もしかしたら、僕の人生において、

最高の読書タイムかも知れない。

いや、間違いなくそうだ。

 

 

ネットでたまたま、

「日本大好き人間」のラトビア人男性、

アルトゥル・ガラタ(Artur Galata)さんを知った。

 

彼のXを覗いてみると、

「絶体絶命」についての記述があった。

 

「絶体絶命」は漢字をバラすと、

「糸 色 体 糸 色 命」となって、

「いとしき からだ いとしき いのち」と読める。

 

有名なトリビアかも知れないけど、

僕は知らなかった。

面白い。

 

あと、

日本語はわかりにくい。

羊羹には羊が、

カニパンには蟹が、

たぬきそばには狸が、

ぞう煮には象が、

かば焼きには河馬が、

かっぱ巻きには河童が入ってない。

 

といった内容のつぶやきも、

面白かった。