明け方2度ほどトイレに行きたくなって起きた。
しかし出ない小水。
7時をまわって離床してすぐは出たけど、
それもごくわずか。
残尿感は強いままだし、
下腹もかるく押すだけで、
痛みを感じる状態が続いている。
僕は能天気なので、
病院に行くのがいつも遅くなるのだけど、
これはもう泌尿器科で診てもらうしかないと思った。
午前中、用事を片付けたあと、
午後、足を運ぶ。
エコー検査で膀胱を調べると、
小水が大量に溜まっている、
ということだった。
薬を飲んで様子を見るか、
管を入れてすぐに排出するか、
方法は2つ。
しかし薬を飲んでも今の状態が続くと、
夜中に救急車、
ということもあり得るとのこと。
先生も後者のほうがいいということで、
そちらにしてもらった。
管を入れるのは、
入院のときに経験があるので、
恐るるに足らず、
なあんて老人アタマで考えていたら、
そちらは手術時だったし、
全身麻酔がかかった中での装着。
今回は麻酔ナシ。
痛いのなんの。
老人の考えの甘さが痛みを何倍にもした。
排出量には驚いた。
何と1,500cc。
そんなにたくさん貯蔵できる、
膀胱さんに感心!
膀胱が空になると、
下腹の痛みもすっかり消えてしまっている。
ひと息ついた。
しかし管を装着したまま、
1週間すごさないといけない。
新しく処方された薬を受けとり、
小水を溜める袋をトートバッグに入れて、
管をバッグで隠すようにして帰宅し、
「日常生活」をしてみると、
体を動かすたびに、
咳をするだけでも痛みがはしる。
先行き不安。
神経痛の記録更新は、
昨日までということになった。
今回は痛みが長く続いたけど、
結局よくあるように、
去って行った低気圧が、
神経痛を道連れにしたかたち。
カンヌ映画祭の記事を、
いくつか読んでいたら、
ツイッギーが会場に現れた、
と書かれている。
そちらにも驚く。
彼女のことは長いこと思い浮かべたことがなかった。
存命だったとは。
ま、でも、彼女は1949年生まれ。
いくら元気でも不思議はない。
というかカンヌの写真を観たけど、
カッコ良すぎ。
調べてみると、
彼女の初来日は1967年。
僕が高校1年のとき。
来日時の記憶は曖昧だけど、
その前後の彼女がもたらした、
「嵐」は忘れようがない。
僕の広島の実家周辺では、
ふだん着物に白い割烹着、
という夫人たちがまだ多かった時代。
そういう時代に、
海の向こうからやって来た、
ミニスカートのインパクトは、
ハンパじゃなかった。
ファッションにおいて、
あんなに度肝を抜かれたことは、
僕の人生でほかにない。