昨日の続き。

 

わが高校は水球が強かった。

僕が在校中に2度も全国制覇している。

 

水泳部が水球に力を入れたのは、

競泳では、ミュンヘン五輪(1972)の、

100平ゴールドメダリスト、

田口信教さん(1951〜)のいた、

尾道高に敵わなかったからだ。

 

いま思うと、あんなお粗末なプールで、

よく頑張っていたものだと思う。

 

1、2回勝つと中国大会進出。

また1、2回勝つと全国大会へ。

という具合で競争相手が少なかったけど、

全国制覇は立派。

 

 

全校朝礼は壮観。

毎週、月曜朝に中高合わせて、

約2,300名が校庭に集合した。

 

まず校長の挨拶、

「おはよう」で始まる。

他の先生は「おはようございます」と言った。

「おはよう」は校長だけ。

 

校長はその地位にふさわしい威厳があった。

親しみを感じるタイプではなかったけど、

僕は彼の存在感に一目おいていた。

 

朝礼でなぜかよく登壇する、

こちらは近所の暇そうなおじさん、

といった感じの数学の先生が、

いつもカープの話をアタマに持ってきた。

「昨日はええ試合じゃったのぉ」

「最近カープが勝たんけぇ元気が出んのんよ」

そんな按配。

 

もうひとり「カープ愛」を露骨に示す先生がいた。

その先生はちょっと行き過ぎ。

書道を1人で教えていた年配の先生だけど、

前日カープが勝てば、

その日授業で書いた作品の、

点数が明らかに良くなるのだ。

もちろん負けると逆。

 

そのことは他の教職員も知っていたはずだけど、

「質実剛健」「知徳併進」

を教育の旗印にしていても、

結局は「大学受験第一」の進学校。

書道は受験には関係ないし、

先生は戦前から学園を支えてきた「長老」でもあるし、

看過されていたのだと思う。

 

 

臨時朝礼は6年間でたぶん2回。

どちらもOBのサッカー選手、

森孝慈さん(1943〜2011)が、

五輪に出場することになり、

その報告に訪れたとき。

 

監督は2回とも、おなじく広島出身の、

長沼健さん(1930~2008)だったけど、

森さんは「長沼ジャパン」の、

というか東京五輪の開催が決まってから、

デットマール・クラマーさん(1925〜2015)が、

まさにゼロから作り上げたチームの、

優秀なミッドフィルダーだった。

 

1964年の東京五輪のとき、

森さんは早稲田の学生。

1968年のメキシコ五輪のときは、

三菱重工の選手。

 

母校は森さんが高校生のとき、

全国制覇している「名門」でもあり、

サッカーが「校技」だった。

 

だから、たいていの生徒はサッカー好きだったし、

森さんは憧れの人。

あの2回の臨時朝礼ほど、

朝礼が盛り上がったことはない。

 

1968年のとき、森さんは壇上で、

生徒会長をしていたN君と握手した。

 

N君は僕とおなじクラス。

朝礼が終わって教室に戻ると、

数名が彼に近寄って、

「おまえ、ええことしたのぉ」

と口をそろえて言った。

 

 

あと思い出すのは、文化祭で、

当時NHKテレビの人気番組だった、

「シャープさん・フラットさん」(1962〜70)

を模した催しが毎年講堂であったこと。

 

「シャープさん・フラットさん」はのちの、

「クイズ・ドレミファドン」(1976〜88)

と似たようなイントロクイズの番組、

と言えばいいだろうか。

 

僕はその催しが文化祭唯一のお楽しみだった。

しかし、1時間もすれば終わってしまうので、

文化祭はいつも呆気なかった。

 

 

とりあえず、いま頭に浮かぶのはそのくらい。

母校を卒業してから、

半世紀以上が経っている。

 

昨日から書いてきたことも、

「思い出補正」がかかっているかも知れない。