昨日、『男子校の生態』について書いたので、

作者「コンテくん」の大大先輩の僕も、

覚えている「生態」を書いてみることにする。

 

校舎は鉄筋コンクリートだった。

小学生時代、オンボロの木造校舎しか縁のなかった僕は、

それがとてもとても嬉しかったけど、

暖房も冷房もなく、

夏の蒸し風呂のような暑さと、

冬の底冷えのする寒さには閉口した。

 

蒸し風呂のような、というのは、

教室は前後はともに黒板(緑板)のある壁、

左右は片側は一面が窓になっているけど、

もう一方は天井に近い部分に、

小さな窓があるだけ。

しかも閉めっぱなし。

 

ドアも閉める決まりになっていたようで、

まったく風が通らないのだ。

まさに蒸し風呂。

それでも体調不良になる生徒が出た記憶はない。

不思議でしょうがない。

 

底冷えのする、というのは、

床がむき出しのコンクリートなので、

大げさでなく、氷のように冷え、

その冷気が足もとから這い上がってくるのだ。

 

 

ビジュアル的に最もインパクトがあったのは、

4時間目の授業が終わるやいなや、

多くの中学生が食堂めがけて、

全力で駆けていくシーン。

 

母校には給食がなかった。

昼食は弁当派・食堂派に分かれる。

比率は1:4〜5くらい。

 

校舎は東側に鉄筋2棟、西側に木造と鉄筋棟。

東側はすべて高校生の教室。

西側は大雑把に言って、

教官室や売店のある木造棟と、

中学生の教室・理科実験室・図書館のある鉄筋棟。

 

食堂の入っていた建物は、

西側校舎のさらに西にあったから、

高校生はどう足掻いても、

早くメシにありつけることは不可能。

 

中学生は頑張ればすぐに食べられるので、

競争になったという次第。

 

僕も食堂派だったのでしばしば参戦した。

しかし群を抜いてすばしこい生徒が何人もいるので、

いつも後塵を拝した。

 

食堂は2部屋あって、

片方がご飯物、片方がうどんとパン。

 

ご飯物は2種類あって、1つはカレーライス。

そちらは毎日。

もう1つはハヤシ・チキンライスなどが日替わり。

 

そのカレーが独特の風味で僕的には絶品。

「最後の晩餐」の有力候補のひとつ。

しかし卒業後、食堂が建て替わって、

味も変わってしまったようで、

実際は幻の候補なのだけど。

 

うどんは1種類で確か天ぷらうどんだった気がする。

 

ご飯物の値段はすべて50円、

うどんが20円、

パン・牛乳は覚えてないけど10円だったか。

 

 

食堂の建物も古い木造だったけど、

その南隣の2階屋はもっと古かった。

 

被爆建築物で、爆風で45度に傾いていたのを、

教職員全員が綱で引っ張って、

垂直に戻したと聞いた。

 

雨が降るとそこの1階で体育の授業が行われたので、

みんな「体育小屋」と呼んでいた。

しかしバスケットコート半分くらいの狭さ。

1クラス50数名が入ると何もできない。

ずぶ濡れになってサッカーをするときもあった。

 

 

体育小屋のさらに南に、

25mの屋外プールがあった。

広島県最古のシロモノ。

なので出来立てのころは、

たびたび公式大会が開かれていたとのこと。

 

そのプール、浄化装置のない、

ただのデカいタライだった。

そのために水泳部の連中は、

とある病気によくかかっていたようだけど、

吉川晃司さんの頃は、

改装されていたのだろうか。

 

 

長くなった。

続きは明日にしよう。